見出し画像

メンタルとかいう壊れる時はちゃんと壊れる耐久財



「どんな会社(仕事)でも三年耐えれば慣れる」
「体育会系でシゴかれた経験があればどこででも生きていける」
「スパルタな環境で過ごせば精神的に強くなる」
「体罰を受けた方が図太くなれる」
「毒親育ちはメンタルが強い」
「誰でも死ぬ気でやれば乗り越えられる」
「いじめられた人間は痛みを知る優しい人間になれる」


 このような“苦労や苦難を経験すれば心が強くなれるし、人としてデカくなる“的なことを述べる言説は世の中に溢れているけれど、あんなもんあたいに言わせてみれば間違ってますわ。「なにもかも間違ってる」と極端に否定はしないけれど、少なくとも「言い過ぎ」の部類には入ってると思う。人間のメンタル(脳みそ)が傷つけられれば傷つくほど強くなるわけがないやん、少年漫画じゃないんだし。


 むしろ、劣悪な環境で過ごしていれば、これ以上傷つかないように閉じこもるようになったり、自分を守るために率先して相手を傷つけるようになったり、痛みに耐えるためにも心の機微に対する感覚が鈍ったり、自分の心身に頓着しない生き方にも陥りやすい。むやみやたらに安売りや自虐ばかりしてる人もこういうのに含まれるんじゃないかな。

 だけどもこれこそがストレスに晒され続けた際の正常な生存本能で、巷で喧伝される「優しくなる」とか「強くなる」というのは後天的に学習した生存戦略だと思う。

 優しくなったり、強くなった方が生きやすい。あるいはそういう人の方が生きやすそうに見え、自分もそのように振る舞えば生きやすくなるかもしれないと踏んで、自己を矯正した結果が「優しさ」や「強さ」の正体だと思う。これらは無意識・意識的に関わらず戦略であって、人の素ではないとあたいは個人的に考えてる。

 まぁでもこういった「傷つけば強くなる」という系統の言説は、被害者や、立場の弱かった者や、トラウマを抱えた人間に対して、ただただ「残念ですがあなた達は生きづらくなりました」と言い放つのではなく、「逆境だからこそ得られるものがあり、報われること“もある“」と言うことで、少しだけでも希望の余地を持たせてくれるような狙いもあると思う。

 基本的には、慰めや優しさから生まれた前向きな言葉だったんだろうよ。

 ただ優しさから生まれた言葉が、実際に優しく使われるかと言うとそうではない。実際のところ、こういった言葉が傷を持つ人間に対して、あるいは現在進行形で傷つけられている人間に対して「耐えなさい」「逃げてはならない」「自分で打ち勝ちなさい」というメッセージとして伝わってしまうことも往々にしてある。

ここから先は

2,754字

ここはあなたの宿であり、別荘であり、療養地。 あたいが毎月4本以上の文章を温泉のようにドバドバと湧かせて、かけながす。 内容はさまざまな思…

今ならあたいの投げキッス付きよ👄