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天才じゃないあんたへ 〜読書や勉強は徹底的に脳のストレスを省けばええねん【読書論・勉強論】
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あたいは経済的な理由で塾や予備校に行ったことが無く、大学受験もほとんど独学で突破した。
勉強方法や受験関連のスケジュールなどは一足先に大学生になった同窓生に伺い、当時あたいが働いてたゲイ風俗の先輩からは使い古した参考書を貰った。とりあえずそれで受験勉強を始めた。
また、同僚である彼らからは、年代こそ違えど、様々な状況からの大学受験の体験談が聞けた。不景気からだろう、世間一般で高学歴と呼ばれる大学の学生や大卒の企業勤めであっても、ゲイ風俗に在籍する人間が多い時代だったので、参考になる話はいろいろ聞けた。今になって思うと希望のない話でもある。
もちろん人から成功例を聞いてもそれが自分に適用されるか分からない。他人と比較しても自分の成績は上がらない。そこからあとはもう自力でやるしかなく、ずっと一人で参考書に向かった。
ただ、当たり前だけれど、勉強方法にも効率的なやり方や、正しいやり方がある。最初から1人で学ぶより、まずは誰かから教わった方が確実なのは間違いないだろう。でも誰もが教わる環境に入れるわけじゃない。教育の場にはそれぞれ壁がある。
中学の頃、あたいには不登校の時期があった。学校をサボって図書室の本を読んだり、同じように学校に行かない子と遊び歩いたりもしてた。どうせ中学を卒業したらすぐに働かなければならない家庭環境の子どもたちにとって、義務教育の義務は《指定された年齢まで学生徒として在籍するだけの義務》であり、多くの職場で中学生はまだ雇えないので、義務教育の範囲にいるということは《働かなくていい権利》を有している期間でもあった。
言うなれば義務教育最後の3年間は、あたいらのように《当たり前に高校に進学できない子ども》にとって早めのモラトリアムだった。だからあたいはそんなに勉強しなかった。せいぜい、定期テストの期間になると友達と点取りゲーム感覚で競い合って、勝ったら嬉しいから事前の試験勉強だけはする。勉強とは必要に迫られたら行う単発的なもの。そういう感覚だった。
代わりとは言ってはなんだけれど、読書は好きだった。というより暇を潰せるものがそれしかなかった。ネット環境も今のように手軽では無い。田舎なので遊ぶ場所も無い。無免許で原付に乗る不登校友達は、隣町のショッピングモールに行って、別の校区の不良にボコボコにされてた。あたいにはチャリしか無かった。原付を盗む度胸も無かった。
でも、子どもも少なくなって廃校間際の学校の図書室に本だけはあった。健康不良生徒のあたいに目をかけてくれた中学の恩師は、授業に参加しなくても図書室に来て本を読めばいいと言って、叱らずに見守ってくれた。その恩師はあたいに図書室の鍵の隠し場所さえ教える始末だった。良くない生徒を目にかかるのは、正しくはないけど必要なことをしてくれる大人なのだ。あたいは自ずと本を読んだ。
勉強の代替のように読者を論ったけど、読書にも正解の読み方があるかもしれない。たとえば前提知識を要する本についてはリーディングリストがあった方がいい。何もわからないまま読み進めてもただ挫折するだけだし、読書の楽しみが損なわれる。読んだ後にフィードバックする場所もあればいい。今はSNSやレビューサイトもあるし、たとえば学問を志す場にいれば知識のある同士がいる。
あたいの地元は寂れた本屋しかなく、図書館の利用者も少なかった。本を買える子は街に出て新品の本を買う。本を買えない子は借りてでも読むという習慣が無い。貧乏なのに本を読むあたいにおよそ同士と呼べる存在はいなかった。
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天然温泉旅館「もちぎの湯」
ここはあなたの宿であり、別荘であり、療養地。 あたいが毎月4本以上の文章を温泉のようにドバドバと湧かせて、かけながす。 内容はさまざまな思…
今ならあたいの投げキッス付きよ👄