体のことを想うなら体に悪い食べ物という概念を手放そう
こんにちは。
今日は乙女座の満月ですね。
満月にも星座ごとにメッセージがあるらしいのですが
今回は特にその情報をとってはいません。
じぶんの内側からふつふつと湧き上がるようなものを
感じていて
それは良し悪しではない感覚。
一見感じたくない恐れだったり、無力感だったり。
でもそれは決して歓迎されない雰囲気のものではなく、
むしろじぶんが一歩進めたからこそ見えてきた景色
という感覚があって
静かに、わくわくするような
そんな感じ。
わたしにとってはそんな満月です。
皆様はいかがお過ごしでしょうか?
タイトルのお話をしますね。
わたしは絨毛癌という体験をしたことをきっかけに
からだを始め、自分自身に優しくしなきゃ。
これまで気にしてこなかった不摂生な生活だったり
食べているものを改めなきゃ。
そんな気付きを持って
そうして数々の自然療法だったり
それこそ陰謀論的な世界の真実みたいなことだったり
分子整合栄養学、糖質制限、グルテンフリー、カゼインフリー、ビーガン、まごわやさしい、添加物、重金属、電磁波、ワクチン、西洋医学の闇。。。
ぐんぐん吸収していきました。
それは大切な時間だったと思います。
改めてじぶんが食べているものがどういうものなのか、とか
今している生活がどういうことの上に成り立っているのか、とか
気付いたり、学んだり、それは素晴らしいjourneyだと思うんです。
でも、わたしは気付いたら、否定ばかりするようになっていました。
スーパーに行っても買いたいものがない。
それを何も考えずに買っている人、売っている人、
そういう人を責めている自分もいました。
知ることが、行動することが正義だと信じて疑いませんでした。
悪いものは糾弾すべきだ!そんな風になっていました。
今思うと、そのころのわたしは幸せとは言えませんでした。
いつも体に悪いものに怯えていたように思うし、
そういうものを全力で除外しようと頑張っていた。
そしてその後病気が悪化していったことなど
また体験を重ねて、
わたしの心が解けていって
そうして今、わたしが想うこと。
それはね、悪いものなんて存在しない、ということ。
ただ、well-beingで生きていくなら
大切にしたほうがいいのはバランス。
中庸を学び、じぶんの感覚として覚えていけばいいだけ。
チョコレートが大好きな人が、体に悪いからって
チョコレートを悪者だと思いながら食べるのってどうですか?
もったいなくないですか?
せっかく頂くならありがたい。幸せ。美味しいなぁって全力で味わった方が
チョコレートもじぶんも喜ぶと思うのです。
それに体や心って不思議で、
誰一人として同じ人はいないと感じます。
誰かにとってはすごく負担の大きい食べ物であっても
誰かにとってはたいして負担のない食べ物だということがあると感じるのです。
だから知識として
これは体に悪いんだ!と決めつけてしまうことはもったいないと感じます。
大切なのは自分と仲良くなって
自分には何があってるのかとか、
自分は今、何が食べたいのかを感じる力を養うこと。
そうして自分なりのバランスを見つけていくこと。なんじゃないかなって
今はそんな風に感じています。
まずはじぶんが心地よく在ること。
そしてみんなが心地よく在ること。
誰かを非難しなくたっていいこと。
ただ素敵な誰かを応援すること。
カップラーメンは
毎日それしか食べていなかったら
体には負担が多いかもしれない。
でも、寒い、本当に生きるか死ぬかくらいの極寒の冬山で
食べるカップラーメンは本当にありがたい存在なんじゃないかなって思うの。
そこには悪なんて概念なくて、命を繋いでくれる神聖な食べ物と言えるんじゃない?
たまに食べたくなって食べるカップラーメンは
何だか懐かしかったり、昔を思い出したり
そんな素敵な時間になることだってある。
そんな風に楽しめるなら、それは本当に悪なのかなぁ?
色んなフェーズを体験してきて、今、わたしが想うこと。
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