映画ドラえもんのリバイバル上映を観てきたのだ!(『ひみつ道具博物館』『雲の王国』)

『ドラえもん』の映画のリバイバル上映を観てきた。


まず先に、私はドラえもん大好き人間である、ということを宣言しておく。(詳しくは下記noteを読んでいただければ分かりやすいかと)


前置き。各作品に対する私のスタンスなど

今回観た作品はリバイバル上映されていた6作品中4作品。
公開年順に下記4作品を観てきた。

  • 1992年公開『ドラえもん のび太と雲の王国』

  • 1996年公開『ドラえもん のび太と銀河超特急(エクスプレス)』

  • 2004年公開『ドラえもん のび太のワンニャン時空伝』

  • 2013年公開『ドラえもん のび太のひみつ道具博物館(ミュージアム)』

上の3作品は、大山のぶ代さんはじめ前の声優陣時代のもので、
残り1作品が今の声優陣のもの。

私は、前の声優さんたちの時代に育ったので、必然的に思い入れがあるのは前の声優さんたち。

なので実をいうと、この企画が発表された当初は前の声優さんたちの3作品しか観に行くつもりがなかったのだが、『ひみつ道具博物館』に関しては、このリバイバル上映がはじまる頃に「ひみつ道具博物館が一番好き!」というような意見をXでよく見かけたような気がして。予定も空いていてたので「ならば行ってみるか」と。

ちなみに、今の声優さんアンチとかでは全くない。ただどうしても、同じ『ドラえもん』という軸はあるものの、アニメそのもののテイストが変わったなあとは感じていて。声の問題ではなくというかむしろ、そのテイスト全体が慣れ親しんだあの『ドラえもん』ではなくなったなあ、という風に感じていたので、自然と遠ざかっていただけ。

同じ理由で、旧声優陣の時代にも、声優交代の直前あたりはテイストがぶれを感じて離れていた。具体的にいうと、オープニングの『ドラえもんのうた』にアレンジがかかったり、エンディングの「あったまてっかてーか♪」でおなじみの『ぼくドラえもん2112』でなくなった、2002年あたり
私自身、小学校高学年になっていてちょっとドラえもん離れする年頃だったのもあるかもしれない。

なので今回観に行った、2004年公開の『ワンニャン時空伝』も実はどんぴしゃりではない。(この作品は声優交代直前の一番最後の映画)

そしてさらにいうと、私は『ドラえもん』が大好きで、VHSで録画したテープは擦り切れるまで見ていた子供だったのだが、「映画館に映画を観に行く」という習慣がなく育ったため、映画館では『ドラえもん』をほとんど観ていない。

もちろん『映画ドラえもん』は大好きで、自宅でVHSでは、数えきれないほど観ていたのだが(今も自宅ではしょっちゅう観る。さすがにVHSは卒業したが)、なぜか、映画館へ観に行くということをしていない。

なので、今回上映されていた映画は、映画館で観るのはすべて初めて。そして『ひみつ道具博物館』に関しては完全に初見。という人間が観に行った感想になる。


まず1週目に上映されたのが、1992年『雲の王国』2013年の『ひみつ道具博物館』

上映スケジュール的にも、好きなものを最後に取っておく性格としても、『ひみつ道具博物館』→『雲の王国』の順で続けて鑑賞した

なのでまずは『ひみつ道具博物館』を観て思ったことから。

『ひみつ道具博物館』

「のび太くーーん!!」から始まるオープニング

旧世代の『映画ドラえもん』は、なにかしらに困ったのび太が「ドラえもーーん!!」と助けを求め、ちゃらららららちゃらららららちゃららららららちゃららら♪といつものイントロが入るというのが、大定番。(であるはずなのだが。このあと数作品を鑑賞しこの私の中の定説は完全に崩れることになることになる。その話はまた先にしよう。)

だが、『ひみつ道具博物館』は、なんと、ドラえもんがさけぶ「のび太くーーん!!」でイントロに入った。

この時点で、私は「おおお!新時代のドラえもんだ!!」と感嘆する。

今の声優さんたちの『映画ドラえもん』は歯抜けに何作品かだけ観ているとだけで、かつ、観たものに関しても1度観たきりという状態。比べて旧声優陣のものは数えきれないほどに繰り返し見ている。
なので今の声優陣の映画は「観たことがない」と言っても差し支えないほどに記憶量が違う。

なので、この「のび太くーーん!!」はじまりが、果たしてこの『ひみつ道具博物館』に限ったことなのか、今のドラえもんではありがちなことなのかはよく分からないが。

一旦、この映画に限ったことなのだと仮定すると。
この「のび太くーーん」は、この映画全体のもたらすテーマにとても沿っていて、エンドロールを眺めながら改めて、そうか・・・だから「のび太くーーん!!」で始まったんだ、と思わされる。

具体的に語ると…。

このあたりからネタバレ入ります。
もう何年も前に公開されている映画なので、ネタバレもなにもないのですが。念のため予防線を張っておきます。

この『ひみつ道具博物館』は、のび太とドラえもんの友情を一番の軸に描いており、加えてドラえもん→のび太のベクトルの感情が強く描かれている。"ドラえもんが" のび太のことをいかに信頼しているか、そして「友達」としての関係性。

旧声優陣時代の映画やアニメの『ドラえもん』だと、ドラえもんはのび太の「保護者」感が強く描かれているので、それとのギャップを強く感じる。

なので最初の「のび太くーーん!!」は、ドラえもんがのび太に助けを求めるという構図が如実に出ているなあと感じたのである。

ドラえもんのためにがんばるのび太

この物語の軸はのび太とドラえもんの友情ということは先述したのだが、この軸がストーリーの動機となっていることも大きな特徴である。

物語をまとめると、「ドラえもんの鈴がなくなってしまいそれを探すためにのび太たちは22世紀にあるひみつ道具博物館へ行き、そしてその博物館内で起こる事件に巻き込まれて・・・」というもの。

この「ドラえもんのために」がはじめから動機になっているのが、かなり珍しいのでは…?と私は感じた。少なくとも私が観てきた『映画ドラえもん』ではなかったと思うのだが…。途中で、ドラえもんが壊れてしまいなおすために、あるいはドラえもんとはぐれてしまい助けるために、というようなパターンはよくあるのだが、物語のはじめから「ドラえもんのために」で動いている映画というのがはかなり珍しく感じた。

最初のほうでものび太がわがままを言ったりすることもないので、この映画におけるのび太はとにかく純真無垢な少年という印象が強い。

22世紀の未来のワクワク感

この作品が一番好きだ、という人が多いのはここに大きな理由があるのではないかと思う。

22世紀の未来のワクワク感が最初から最後までちりばめられている。

そして「ひみつ道具博物館」というタイトルから明らかに分かるように、ひみつ道具がこれでもか!というほど出てくる。ドラえもんをそんなに知らない人も楽しいし、なにより、知っている人が「あの道具だ!!」となる楽しさがそこかしこにある。

次から次へと展開し飽きがこない

映画を観てから随分時間が経ってからこのnoteを書いてしまっているので、正直具体的な展開を逐一覚えているわけではないのだが、とにかく「飽きた」という印象がない。

このあと観た『雲の王国』を観てから特にその印象は強くなった。

涙も忘れない

そもそものきっかけとなった、ドラえもんの鈴。この鈴にドラえもんがそこまでこだわる理由はなんなのか、それがドラえもんにとってのび太との友情の証だったということが最後に明かされる。

藤子・F・不二雄先生の原作漫画にはないエピソードながら、心温まる、そしてエピソードとしてのさりげなさがとてもいいなと思った。

のび太の優しさに涙するというのは『ドラえもん』すべてを通してよくあることなのだが、ドラえもんから見たのび太の優しさ、というのは、あまりにも有名な『帰ってきたドラえもん』のエピソードを彷彿とさせ、さらに涙を誘われた。

「映画」としては本当に素晴らしい映画

総じて、映画として本当に素晴らしい映画だと感じた。

だが…!
私の知ってる『ドラえもん』を観た感じがあまりしなかった。

なんでだろう。

一番は、やっぱり絵のテイストが違うというのがかなり大きいかもしれない。
ドラえもん映画にはゲストキャラも出てくるのがお決まりなのだが、このゲストキャラ達が、可愛すぎた(笑)キャラデザがドラえもん世界のそれではない気がして、なんだかむずがゆかった。可愛いんだけど。(ゲストキャラの博士に関しては藤子キャラではなく手塚キャラに見えた)

それから。ドラえもん映画にアクセントとして入ってくることが多い、気味悪さだったり本気の怖さだったりがなかったように感じる。出てくる人全員良い人で、張られた伏線っぽいものもぜーんぶきれーに回収していき、「結局あれはなんだったんだろう」みたいな謎も残らない。言ってみれば、とっても明快で分かりやすいのだが、旧世代のドラえもんで慣れた人間からするとちょっと物足りなさを感じてしまう。

加えて。ギャグの要素がどうにも慣れない。「笑かそうとしてます!」という感じが強いというか、今時の少年漫画っぽいギャグ要素というか。

この3か所が複合的に絡み合って、私の知ってる『ドラえもん』じゃないんだよなーという感じが強かったのだと感じる。


さて。こんなことを考えながらトイレだけ済ませて、次の映画『雲の王国』へ。

『雲の王国』

のっけから渋いスタート

ふるーいがびがびの東宝マークが流れたあと、私がよく知っている『映画ドラえもん』のもうひとつの大定番を思い出す。

『映画ドラえもん』では、ドラえもんのおなじみのキャラクターたちとは、全く異なる場所だったり空間だったりで何かしら不思議なことが起こっているらしい…という様子が映し出されるプロローグから始まる。

しかもその「想像できなさ」「不可思議さ」の度合いが、子供向けのそれではないのだ。

たしか。直前に見た『ひみつ道具博物館』でも、怪盗DXが登場し何やら不思議な事件が起こっているらしい…みたいな始まり方をしていたと思うのだが、これはまだ想像の余地があり、ワクワクどきどき感もある。

それに比べて『雲の王国』はというと。

とある孤島が監視カメラ越しのような映像で映し出され、そこに住んでいるらしい褐色の肌をした3人の知らない人物が大雨に飲まれるという。

まっったく、もう全く、展開が読めない。そして難解さがある。「???」とクエスチョンマークだけが残り、ワクワク感みたいなものはほとんどない。渋い、渋すぎる。

たしかに「ドラえもーーん!!」で始まったけど…!

「ドラえもーーん!!」ちゃらららららちゃらららららちゃららららららちゃららら♪

たしかに、たしかにこれではじまった!けど!

まじで唐突に「ドラえもーーん!!」だけが来た(笑)!!!

『雲の王国』なんてもう何度も観ているのだけれど。こんな唐突な「ドラえもーーん!!」だったんだと初めて気が付く。

のび太が困ってから「ドラえもーーん!!」と呼ぶ様式が超簡略化され、「ドラえもーーん!!」だけが残っていた。なんならのび太の姿すらまだ出てきてなかった。

ネットミームのあれ

そのオープニングの入り方の拍子抜けを経て、劇場音響で聞く『ドラえもんの歌』には当たり前に涙し、直後にやってくるのが、ネットミームのあれ。のび太のあれ。(「のび太 ネットミーム」で出るはず)

雲の王国ってこんなにツッコミ箇所満載の映画だったっけ、となりながら鑑賞を続ける。

超オーソドックスな展開が続き、学びも入る

なにもかもいやになったのび太が家出する。
のび太の意図を汲みとりドラえもんが天国を作ろうという提案をする。
自分たちだけの秘密基地をつくる。

超・超・超オーソドックスな展開が続く。

そしてそこに「株式王国」という話題が登場する。
これが出てきたとき、『ひみつ道具博物館』と異なる雰囲気を感じる。藤子作品にときどき出てくる妙にリアルな政治や経済系の話題。「ああこれこれ」となる。ポータブル国会(ミニミニ国会)や、税金鳥、独裁スイッチなんかを思い出す。

その後「絶滅危惧種」との出会いから、徐々に徐々にプロローグの意味不明だったものたちとのパズルが繋がりはじめる。

と、同時に。
私が2連続で鑑賞して疲れていたからかもしれないし、『雲の王国』のほうは本当に何度も観ているから先が気になるドキドキ感がないからかもしれない。のだが。

ちょーっとだけ、退屈だなあと感じる部分があった。
『ひみつ道具博物館』ではそんなことを感じるタイミングが全くなかったので、このあたりで『ひみつ道具博物館』が絶賛されている所以を感じたりする。

昔の友達たちとの再会、そして映画のゲストキャラクター

『雲の王国』において語らずにいられないのは、過去にのび太たちが出会った友達たちとの再会がある。ドンジャラ村のホイくん、モアとドードー、そしてキー坊。

これは、私は良し悪しだなあと感じていて。

もちろん原作漫画やテレビ放送のアニメを欠かさず見ているドラえもん好きの子供たちなら、「ああ!」となる楽しさが、間違いなくある。それにキー坊に関しては、本当に本当に大事なキャラクターであるからして、絶対に外せない存在なのは間違いない。

けれども一方で、その要素が全体のボリュームからしても比率が大きすぎるような気がする。

何より、雲の王国は、映画だけのゲストキャラも何気に多い。
天上人のパルパルとグリオ、
南の島の少年タガロたち家族、
密猟者たち。

キャラクターが多く、それぞれがそれぞれの立場で独立していて、いずれものび太たちと全く同じ立場の「仲間」がいない。

なので、90分という映画のなかでは、キャラクターたちが乱立している印象も受けてしまう。

壮大に広がっていく世界観

と、そうこうしている中で「ノア計画」の話題が出てくる。
聖書のノアの方舟のように、今の地球を一度洗い流そうというもの。

ただのひみつ基地遊びが、地球全体に及ぼす大きな事件へと繋がっていく。

この壮大すぎる広がりに関しては、まさしく『映画ドラえもん』だと感じさせられるし、自分たちの住んでいる世界を守るという重責に小学生が対峙させられる姿はハラハラする。

こういう部分を改めて俯瞰して観てみると、もう全くもって「子供向け」として描かれているわけではないことがよく分かる。子供向けの皮こそ被っているが、本質は大人だってぐうの音も出ないほどに痺れる心理戦がそこにはある。だってまさかこれが核抑止力の問題に繋がっていくだなんて誰が思いつくだろう。

こういう部分は『ひみつ道具博物館』では感じられなかったところのひとつだ。『ひみつ道具博物館』も、終盤には太陽製造機の暴走をみんなで力を合わせて止めるという、世界を守る役割を担わされ、スクリーン上の絵としての派手さはこちらが勝っているが、その裏に張り巡らされた複雑性は『雲の王国』にはかなわない。

『雲の王国』は、「環境問題」についてのび太たちが全く関係ないと言い切れない、ただ一方的に巻き込まれた出来事ではないのがしびれるポイント。あくまで自分事の延長線上にある問題なのが、実に苦しさを含んでいる。

ただ、ただ一方で。
これは映画館で改めて鑑賞する前から、この作品に対する印象として私が持っていたものなのだが、やはり「説教くさすぎるかな…」ということ。とはいえ公開された年が1992年なことを考えると、冷戦終結から3年弱しか経っていないことなど踏まえると、机上の空論としてではなく現実の問題として直面していたからこそ、この映画が出来上がったのかもしれない、とも思う。

2作品を見比べて

この2つは並べて比べるもんじゃねぇ!!

もうこれに尽きる(笑)

同じ週に上映すべきはこの2作品ではなく、『ひみつ道具博物館』と翌週に上映の『銀河超特急』であってほしかったーー、と個人的に強く感じた。

とにかく、もう、全く、同じフィールドにある作品ではなかった。

どちらも良い作品なのも間違いないのだけれど、あまりに切り口が異なりすぎていて。

一番うれしかったのは

なによりもうれしかったのが、小さい子供達や若い人がちゃんと見に来ていたこと。

『雲の王国』は、真後ろに座っていたのが若いカップルで、はじめのぎざぎざの東宝マークが映し出された瞬間、「やばっ、ふるっ」ってつぶやいてたんですが(まあそれは私も思った笑)、でも終わった瞬間に素直な声で「おもしろかった」って言っていて、ああよかったーと。(誰目線だ)

さて。

本当は、このnoteで4作品分すべて感想を書こうと思ったのだが、思いのほか長くなってしまい疲れたので、一度筆を置く。
果たして私は続きの2作品の感想をきちんとさぼらずに書くことができるのか。

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