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「使いやすさ」は、本当に人を幸せにするのか?〜 ユーザーフレンドリーの沼から抜け出せない話 〜


「使いやすさ」とは何か。

どれだけ考えても、その答えは深くなるばかりだ。

私はずっと、「最高のユーザーフレンドリー」を追い求めてきた。

でもあるとき、ふと疑問が生まれた。

「使いやすいもの」だけが、本当に人を幸せにするのか?


『「ユーザーフレンドリー」全史 世界と人間を変えてきた「使いやすいモノ」の法則』が教えてくれたこと


『「ユーザーフレンドリー」全史 世界と人間を変えてきた「使いやすいモノ」の法則』を読んだとき、その本が語る「使いやすさの進化」に圧倒された。

ww2、スマイリー原発からから自動運転まで、人間は「より使いやすく」「より便利に」と進化を続けてきた。


でも、ただ「便利なもの」が人を幸せにするわけではない。

むしろ、不便さが生み出す価値(不便益)がある。


「すべてを最適化しすぎると、人間は考えなくなる。」

これは、技術が発展するたびに繰り返されてきた問題だ。


たとえば、カーナビが普及すると、人は地図を読めなくなる。

スマホの予測変換が進化すると、漢字を書けなくなる。

ワンクリックで買い物ができると、衝動買いが増える。


「使いやすい=良い」と思いがちだけど、果たしてそれが真の「ユーザーフレンドリー」なのだろうか?


「不便」があるからこそ、人は考える。


たとえば、日本の茶道。

茶を淹れるだけなのに、あえて手間のかかる工程を踏む。

それは、「時間をかけること」自体が価値を生むからだ。


すべてが最適化され、ボタン一つで終わる世界になったとき、

「わざわざやる」ことの意味が増す。


だから、時には「手間をかけさせること」が、真にユーザーフレンドリーな設計になることもある。


不便益と「本当に人のためになるデザイン」


不便益(不便さが生み出す利益)の考え方を知ったとき、私は衝撃を受けた。

それまで「便利=良い」と思っていたが、実は**「あえて不便にする」ことが、よりよい体験を生むこともある**と気づいた。


たとえば、任天堂の「Wii Fit」。

あえて身体を動かさせることで、ゲームに「意味のある体験」を加えた。

たとえば、紙の本。

電子書籍よりもめくる手間があるが、その手間こそが読書のリズムを生む。

たとえば、手書きのメモ。

デジタルメモよりも非効率だが、書くことで記憶に残りやすくなる。

「真にユーザーフレンドリーなデザイン」とは?


「便利にする」だけが正解ではない。

むしろ、「どういう不便を残すか」まで考えることが、本当のユーザーフレンドリーなのではないか。


だから、私が目指すのは

「使いやすさと、人間らしさのバランスをとること」

たとえば、私が作ろうとしているフグ式膨張オブジェ。

ストレスを和らげるアイテムだからこそ、「ただ膨らむだけ」ではなく、

膨らむまでの過程や、触れたときの感触に意味を持たせたい。

すぐに反応しすぎるのではなく、「ちょっと待つ」という時間があることで、

より愛着が湧くかもしれない。


「便利すぎる世界」ではなく、「人を豊かにする世界」を。


技術はどこまでも進化する。

でも、それに合わせて人間の感覚まで変わってしまったら、本当に幸せになれるのだろうか?


私が沼にハマり続けるのは、

「人が生きててよかったと思える瞬間」を作るための、最適な不便とは何か?」

という問いに答えたくて仕方がないからだ。


ただ便利なだけのものではなく、

本当に人のためになる「ユーザーフレンドリーなデザイン」とはなんだろうか。
「誰にとって」使いやすいのか?—— ユーザーフレンドリーの本質。


ユーザーフレンドリーという言葉を聞くと、多くの人は「みんなにとって使いやすいもの」を想像するかもしれない。

でも、実際に設計をすると気づく。


究極的な意味で「万人にとっての使いやすさ」は、存在しない。

いや、正確には「万人にとってそこそこ使いやすい」ものは作れるかもしれない。

でも、それは「特定の人にとって、最高に使いやすい」ものではないことが多い。


たとえば、スマホの操作性。

高齢者にとっては「シンプルで押しやすいボタン」がいいかもしれない。

でも、若い世代には「細かくカスタマイズできる設定」のほうが便利かもしれない。


たとえば、都市の案内板。

視力が低い人にとっては「大きな文字」のほうがありがたい。

でも、デザインを重視する人にとっては「美しいレイアウト」のほうが魅力的かもしれない。

つまり、「誰にとっての使いやすさを優先するのか?」を考えずに設計すると、結局、誰にとっても中途半端なものができてしまう。

ターゲットを決めることが「使いやすさ」を生む。


本当に「使いやすいもの」を作りたいなら、

まず考えるべきは「誰のためのものなのか?」ということ。


「使いやすいもの」は、設計者の視点ではなく、使う人の視点から生まれる。

「自分が使いやすい」と思うものが、他人にとっても使いやすいとは限らない。

だからこそ、ユーザーフレンドリーな設計には「ペルソナ設定」が欠かせない。

「みんなのため」ではなく、「あなたのため」に作る。

「万人向け」ではなく、「この人のために作る」。

そのほうが、結果的に多くの人の心に刺さるものになる。

たとえば、私が作ろうとしている「フグ式膨張オブジェ」。

誰にとっての「ユーザーフレンドリー」なのか?

子どもが触っても安心な柔らかさ

ストレスを感じた人が、直感的に癒される触り心地

すぐに反応するのではなく、じわじわ膨らむことで気持ちが落ち着く

こんな風に「誰のために設計するのか」を明確にすれば、機能やデザインの方向性も決まる。

「使いやすさ」は、一つではない。

誰にとっての使いやすさを優先するのか?

それを考えることが、本当の意味でのユーザーフレンドリーなデザインにつながる。

だから、私がこれからも考え続けるのは、

「この使いやすさは、本当にその人を幸せにするのか?」

という問い。

それが「生きててよかった」と思える瞬間を生むための、

真のユーザーフレンドリーなのかもしれない。





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