或る阿呆の一生

『神々に愛せらるる者は夭折す、という言葉思い出す』

私は実家をその年の春に離れており、父の危篤を知り飛行機や新幹線を乗り継いで3ヶ月ぶりに故郷の土を踏み、最後にあった父はまぶたを閉じることもできず白濁した瞳に痩せこけた頬をして苦しそうに時折「あー」と声を上げるだけであった。

私は父の最後には間に合った。「季歩だよ。」と私が言うと「あー」と大きく声を上げる父親の姿に涙が出て溢れた。一晩中話かけ続けた。その次の日の朝、父は帰らぬ人となった。

亡くなってからしばらく、母や兄弟たちは体調を崩していた。私はというと離れた土地でいつも通りバイトやサークル、授業に向かい、普通に暮らしていた。「大丈夫ですか」という母からのLINE。元気であることに罪悪感すら覚えた。

今思えばわざとらしく忙しくして向き合うのを避けてたように思える。それでも向き合わないといけない時は確実に来る。私の場合は生協組合からの補助金申請の書類だった。父の死によって己にどのような変化があったか、家族にどのような変化があったか書かなければならなかったけれど、家族のことを見ないフリをして遠い土地に1人逃げ帰り、己に変化を与えないよう忙しくしていた私は書類の締め切り三日前になっても何も書くことができなかった。

事情を知る先輩が一緒にいてあげるからとカラオケに誘ってくださって、そこで書くことにした。1人で書類を前にペンを握ると放心してしまって時間ばかりが経ってしまうのである。先輩が別の作業をしてる間に書類とペンを机に出す。父のこと、家族のこと、自分のこと、考えてみる。私はいつのまにか泣いていた。父の死後、初めて流す涙だった。


だって、だって、「お父さんと最後に会えて話せてよかったね」なんて言われてもあの叫び声が私には会話だと思えなかったの。いつも通りくだらんおもんない話をしてよ。って本当はずっとずっと思ってたの。元々病気だった父、最後は私と会えない覚悟をしてたってお母さんは言ったけどあたしには覚悟なんてなかったよ。また帰ってきたら普通に会えると信じて疑わなかったよ。



父が亡くなってから5ヶ月経った。ようやく父との素敵な思い出を思い出すことができるようになった。暇つぶしで読んだ芥川龍之介の「或る阿呆の一生」のなかに『神々に愛せらるる者は夭折す、という言葉思い出す』という一節を見つけた。早すぎると恨んだ父の死も、「父が良い人間過ぎたのだ、天国が素晴らしい場所すぎるから良い人はすぐ連れてからだちゃうんだ。」と落ち着けられるようになった。

100年以上昔の人間を、それも文豪を「君」なんで呼んでしまうのは些か不謹慎な気もするが、君のおかげでこの言葉を知れたのだ。私は前を向いている。「私」という阿呆の一生を今も支える言葉である。


#君のことばに救われた

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