待ちぼうけを喰らう人々。
いきなりだが、
なんでも相談してねとか、
なんで言ってくれなかったんだよとか、
そういう相談され待ち人間がいるが
信頼も信用もできないので私はしない。
その場を繋ぐような親切心ほど
要らないものは無いし、迷惑だ。
本当に相談されたかったら
自ら情報収集なり、
自ら話を聞くなりしないのだろうか。
それも抜きに件のような事を言われると
あーこの人、私に興味無いんだなとなる。
リアルでこうなるのはまだ分かるとして
問題なのはネット上での繋がりだ。
私はROM専でもなく、
都度都度自分の事を発信していた。
何気ないことだったり暗い内容も
多かったから興味が持たれないのは
仕方がなかったのかもしれない。
それでも私は相手の気になる話に反応して
たまに個別で相手の話を聞いたりすると
感謝の言葉とくっついて
君も相談や話をしてきてね
いつでも聞くよ待ってるよ
と相手から言われた。
普通なら喜ぶのかもしれない。
いや普通にありがたい言葉ではある。
でも私はそうではない。
前提として私は自分の話をするのが苦手だ。
取るに足らない自分の何気ない話を
他人相手に喋るのが苦手なのだ。
余計な事ばかり逡巡してしまう。
でも反面相手のそういう話を聞くのは
別に平気なのだ。
むしろ楽さ加減でいえば
聞く方に軍配が上がるほど。
だからSNSで自分の事を発信していた。
何気ない自分の話を
誰かが読んでくれるのを期待して。
でも思うほど他人は私に興味なんてない。
例に漏れず、上記の事を言った人達は
SNSの投稿にはなんの反応も寄越さなければ
個別で特別なにか聞くわけでもなかった。
そういう姿を見ていると
自分の思いや話なりを託そうと思えなかった。
そんな中で放たれる件の言葉は
私にとっては最早憎たらしいのだ。
普段から私のなにかに対して
興味もクソもないくせに
感謝のおまけとして言うなと思ってしまう。
私は関心のある人や大事な人には
自ら話を聞くなり能動的にやってきた。
だって好きだし、興味があるから。
動くには充分な動機だ。
そして件の人々も私以外には反応しているのだ。
動いているのだ。
その虚しさったらない。
その気のない優しい言葉ほど
心を抉るものはない。
だから私はここでも言う。
相談されるのを待つくらいなら
貴方から動いてほしい。
本当に相手に興味があって
本当に大事なのであれば。
追記:でもそういう人に話をしたところで
納得した応えを得られた経験は無い。
やはり相手に対する興味が理解となり
話の相槌や反応ひとつとっても
解像度を上げるのだろう。