勝手に解説おめめどう(2)カレンダーがうまく機能しないのはなぜか?
おめめどうというのは、兵庫県丹波篠山市にある自閉症の支援グッズを製造販売している会社です。うちには自閉症の子どもがいるわけでもないし、身内がそれで困っているわけでもありません。むしろ先天的な障害のある人との付き合いがないまま半世紀以上生きてきました。けれど、そんな私がおめめどうに出会い、その支援思想やノウハウを面白いと思ったのは子育てに必要な知恵をふんだんに含んでいると思ったからです。発達途中の「成熟しきっていない脳」を持っている幼い子供たちが時に見せる不思議な行動が、自閉症を理解することでわかることが多いように思ったのです。
何しろ私は自閉症の子どもや大人を支援する実践の場を持たないので理解が浅いところはあると思いますが、その分わたしなりに理論立てて自閉症を理解できているのではないかと考えています。そこで、私の理解と言葉で勝手におめめどうを解説してみようと思ったのがこのノートの主旨です。
第二回は、カレンダーによるスケジュールの視覚支援を始めたご家庭で起こりそうなトラブルを取り上げてみようと思います。
「理屈はわかりました。カレンダーも貼りました。これでこの子は、わからんちんから卒業できるんですね?」鼻息荒くやってくるご家族に次に襲い掛かってくる試練は「貼ったはいいけど、全然見てくれないじゃない?!」という悲劇です。
知的な障害を伴わず、あるていど言葉でのやり取りができる子は
「ねえ、お母さん、遠足っていつ?明日?」
「遠足は〇月〇日よ。さっきも言ったじゃない」
「お母さん、〇月〇日って、いつ?明日?」
「来週の水曜日!」
「お母さん、水曜日っていつ?あといくつ寝たらいいの?」
などという楽しみな予定についてのめんどくさいやり取りをしたことがあることでしょう。
こんな経験をされているお子さんは、なんとなく「日時の概念らしきもの」が頭にインストールされている状態からスタートするわけですからカレンダーの効能は割とすぐにわかるのではないでしょうか?
「巻きカレ(注 おめめどうの巻物カレンダーのことです)を貼ってから、何回も予定を確認されることが少なくなった」
と言われるのはすでに日時の概念らしきものが頭に入っているお子さんです。
では、貼っても効果が全く感じられないおうちでは何がネックになっているのでしょう?
それは、①日時の概念がまだ入ってないか ②カレンダーが本人のものになっていないか ③特別扱いが嫌だと思っているか のどれかの理由だと思われます。
日時の概念が入っていないときにすること
子どもがまだ小さくて一日のルーチン的な流れができていない場合は、日時の概念が入っていないことが多いです。まず、一日のはじまりと終わりを教えてあげるところからスタートしましょう。
カレンダーは三日分だけ見えるようにして、今日を示す赤枠か、それに代わるもの(なんでもいいんです。矢印型のマグネットとか、百均の磁石に「今日」と書いたシールを貼ってもいいです。とにかく、現在地がわかるようになっていればオッケー)を使います。
そして「起きる」「寝る」の絵カードを貼ります。本人に「起きる」とか「寝る」という意味が伝わらないと意味がないので、わかるものを使ってください。例えば、毎晩お気に入りのぬいぐるみと寝ている子には、その「ぬいぐるみが布団に入っているところ」を写真に撮って見せるのがわかりやすいかもしれません。各家庭で「寝ると言ったら?」と連想ゲームでもしてアイデアを出してみてください。「起きる」も同様です。本人に意味が伝わる写真を使うところが最初の大事なポイントです。(ここでは便宜的に、ネットで入手した絵カードを使っています)
この「起きる」と「寝る」の間に子どもが好きなことの予定があれば、それを載せていきます。
例えば、電車が好きなお子さんの場合「電車を見に行く」という予定を本人にわかる形で載せておきます。↓こんな感じで。
そしてここからは親子の共同作業です。カレンダーを見てもらうために「カレンダーでこちらが伝えたいこと」を分かってもらう必要があります。
まず、終わった予定の絵カードは一緒にはがせるものならはがすといいでしょう。終わったことは消えて無くなる、ということが視覚的に理解できます。朝起きたら「起きる」のカードをはがして、カレンダーの外にやり、一日の終わりには「寝る」のカードをはがすのです。(はがせなければ、大きく線を引いて消していくのでもよいと思います。とにかく、日付は左から右に流れ、時間は上から下に流れるというルールをここでわかってもらえればよいのです)
そうして、本当に眠ることで一日が終わるのだと頭の中で絵カードと行為をつなげてもらいます。翌朝になったら、赤枠を一日分ずらして、終わった昨日に「×」なり斜線なりを引いて、これは終わったということを視覚的にも知らせます。
これを続けていくことで「一日」の概念が入ります。昨日、今日、明日はつながっていて、眠ると次の日になるということもわかっていくでしょう。
楽しみな予定を必ず入れるのは、それがあることで本人がカレンダーを見てくれるようになるからです。
とは言っても、すぐには意味が伝わらないと思います。ヘレンケラーが「ウォーター」と「カップ」の違いを理解するのにもそれなりに時間がかかっているはずです。試行錯誤の結果、ある日突然視界が晴れるんです。気長に待ってください。毎日コツコツです。
子どもはわかってくると、楽しみな予定をずらしたりします。「明日じゃなくて今日がいい」とでも言いたげに、何食わぬ顔で電車のカードを今日のところに貼り直していたりすることでしょう。ここで、「カレンダーがわかった!」と喜びのあまりいうことを聞いては、本当はダメなんです。(でも、気持ちはわかる!)そうすると、カレンダーが「予定を伝えるもの」ではなく「要求を伝えるもの」になってしまいますから。嫌な予定も貼り直せばしなくていいことになってしまいます。そうなってしまっては後々困るので、機能を最初に分けておくことは大事です。要求は要求、予定は予定です。こちらも何食わぬ顔で電車のカードをもとの位置に貼り直してください。
カレンダーが本人のものになっていないとは?
カレンダーが本人のものになっていない場合というのはどういう場合でしょう?
一番に考えられるのは、子どもの目の高さに貼っていない、子どもの手の届かないところに貼ってあることでしょう。大事なカレンダーだからといって神棚に祭るようなことはしなくていいんです。どんどん子どもに触らせてあげてください。
「でもそうすると、カレンダーに落書きしたり、破いたり、せっかく貼った絵カードのうち、好きなのだけ持って行っちゃたりするんです。困ります」
うーん、興味があるからこそ落書きしたり破いたりしているのに、それを止めたら興味を失くしちゃうと思いませんか?
またしてもへんちくりんなたとえで恐縮ですが、あなたが兄嫁様と同居していると想像してみてください。兄嫁様はコスメオタクです。あなたの肌質にあう、きれいに見えるファンデーションを選んで買ってきてくれました。最初は嬉しくてそのファンデを使っていたのですが、兄嫁様が口うるさいのです。
「スポンジで塗ったほうが均一に塗れるのよ」
「スポンジは使ったらすぐ洗って乾かした方がいいわ」
「あなたのファンデーションの使い方はムラがあるわね」
「こうやったらいいのに。ああちょっと貸して私がやってあげる」
いちいち口を出されたら、もういらんわ、こんなもの!と思いませんか?
私にくれたなら、私の好きにさせてよ、これ、私のじゃないの?あなたのなの?!
そして、あれこれ言われるのが嫌で結局使わなくなっちゃうんです。
子どもが興味を示しているのなら好きに触らせてあげたらいいんです。破れたらセロテープで貼ればいいし、カードは寝たら回収すればいいし、落書きは「うちの子天才だから何かメモを書き込んでるんだわ」と思っとけばよろし。
きれいに使おうと思うと、その子のものではなくなります。
きれいに使いたい大人のものになってしまうのです。
カレンダーは、誰のために何の目的で貼っているのかを思い出しましょう。
あと、カレンダーをケチって一枚に家族全員の予定を書き込んでいたりすると、自分の予定がわかりにくくてせっかくのカレンダーを見なくなることもあります。家族の予定は別のカレンダーに書き、双方の予定のすり合わせが必要な時に教えてあげてください。とにかくわかりやすさを最優先してください。
特別扱いを嫌だと思っているときにすること
年齢が小さい時は、特別扱いというのは何であれ嬉しいものですが、思春期以降におめめどうにつながって支援を学び始めたおうちでは、特別扱いがマイナスに働くことがあるかもしれません。
何しろ相手は、誰かと同じはダサいと思っていながらも、みんなから外れる勇気はない思春期の微妙なお子さま。しかも、場合によっては周りからの心ない言葉に「自分は普通じゃないんだ」と傷ついているかもしれません。
そんなところに、張り切って支援グッズとしての「巻物カレンダー」を一人のために用意しようものなら、家でも自分は普通じゃないんだと思い知らされるような気持になるのかもしれません。てことはですよ。家族全員でしばらく巻きカレに切り替えたらいいと思うんですよね。そんなにお高いものでもないし。
子ども自身は小さいころから、困っていたはずなんです。周りのみんながわかることが自分だけわからない世界に生きているわけですから。
だから困りごとを解決できるグッズは喜んで受け入れられるはずなんです。ほんとは。
でもそうはならないとしたら、みんなの言う「普通でない自分」を責めて生きているからではないでしょうか? 一生懸命、普通であろうとして生きているからではないでしょうか?
ここで「どきっ」としたあなた。そうですね、あなたもお子さんの障害を責めている(まではいかなくても、治ったらいいのにと思っている)のではありませんか? ずっと困ってきた、ずっとつらかった、それはこの子の障害が原因だと障害を責めてきて、やっと心のバランスがとれていたのです。「この子が悪いんじゃない、障害が悪いんだ」と。でも子どもにしてみれば障害は自分の一部です。「障害が無ければ」という思いを感じると、何となく、自分が責められている気にもなるでしょう。
人間ですから、知らないことはできなくて当たり前です。今日からいきなり変わりましょうとは言えません。でも、決めましょう。障害を責めない、と。障害を含めたこの子だから人生で得られたこともあったはずと、肯定的に考えてみましょう。決めるだけでいいんです。行動がすぐに伴わなくても構いません。誰だってそんなにすぐには変われません。
困ったことや、失敗談を、同じ境遇の人たちと泣いたり、笑い飛ばし合ったりして、そういうこともあるよね、と受け止められたらいいですよね。
そうして、子ども自身も「自分もそんなに悪くない」と思えたら、おそらく苦手なことを嫌わず、どうやったら生きやすくなるかを自分から考えようと思えるんじゃないかと。
素人が知ったような口をきいてすみません。でも素人だからわかることもあるんです。どうか、自分と向き合ってみてくださいね。