映画感想:「僕たちはみんな大人になれなかった」
燃え殻さんの原作の話題の映画「僕たちはみんな大人になれなかった」を観た。小説も読み、不完全燃焼な混乱した感想を抱いていたので、もしや、それを解釈して再構築した映画なら私にも素直に「これ、好き!」と言えるのかもしれないと思ったのだ。(素直に「好き!」と言いたかったのです。だって「え? どういうこと?」「え? なんでそうなるの?」と思いながら、途中でやめられないんですもの。多分、好きなんですよ、これ)
映像は恐ろしくきれいだった。怒涛の90年代も懐かしかった。けれど、それだけで、やはり、燃え殻さんが伝えたいことがわからなかった。
いや、正確には、痛いくらい分かったことがあるにはある。自分よりも好きになった人に認めてもらうために死ぬほど頑張った。なのに理由もわからず突然去られてしまった。裏切りのように終わった恋をどう考えたらいいのかわからないまま、痛みだけが残り20年たった。その自失した感覚は、本からも映画からも伝わってきた。
その感情を共有できれば、本作は成功だったのだろうか?
「失恋」というのは、誰にとっても特別な物語だ。けれど、その失恋について聞かされる方は、よほど仲良くない限り「あー、よくある話ね」とその「特別さ」に感情移入できない。よくある恋、よくある失恋。世界にラブストーリーはフィクション、ノンフィクションを問わず掃いて捨てるほどあふれている。
それを特別にするのが作家の力量なのだろう。よくある初恋喪失までの甘くて苦い物語を、読んだ人の記憶に眠る個人的な物語に置き変えることができれば、燃え殻さんの勝ち。それがうまく作動しなかったら燃え殻さんの負け。
時代を彩った音楽や風景やカルチャーをちりばめ、同じ景色を見た人たちに共感を持たせることで、同世代を生きた人たちに『エモさ』を伝えることには成功したと言える本作。
残念ながら、私にはそのエモさがわからなかった。
せっかく可愛い伊藤沙莉ちゃんは、単にサブカルに詳しいだけでマウントを取ってくる不思議ちゃんで嫌なやつだし、別れの理由はさっぱりわからないし、「僕」にはそれを乗り込んで問い詰めようという気概もないし、なんだかもう「やる気あるのか、お前ら?!」と言いたくなってしまうのだ。
けれど、そこがこの物語の本質なのかもしれない。努力したところで思い通りにならない「失われた時代」を生きてきて、自分でなんとかできそうな、とても小さな人間関係すら、もがく気力もなく流されていく。
その「どうにもならなさ」が今の時代を生きるってことなんじゃないのか? と伝えたいのならば、本作は間違いなく成功している。
けれど、それ、認めたくはないんだよなぁ。どうにかしようとすれば、どうにかなると、まだ思っていたいのである。