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ダメな日の呪文

ダメな日というのがある。そういう日は、起きた時からやる気のバロメーターがマイナスだ。布団の中で本を読んだり、動画を見たりとダラダラしてから、遅い朝ご飯を食べるともう昼を過ぎている。

怠惰に過ごしてしまった罪悪感が、ダメな気分に拍車をかける。

ダメな日には、洗濯すればティッシュを一緒に洗ってしまう。買い物に行けば、わざわざメモに書き出したものを買い忘れる。気分を変えようと、ネットで見つけた美味しそうなおかずのレシピを試してみると、微妙な味しかしない。全てが裏目に出る。

昔は、こんな時の対処法を知らなくて、自分はなんてダメなやつなのかと、落ち込むだけ落ち込んでメソメソしていた。

けれど、今の私には強力な呪文がある。それがこれだ。

「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである」

哲学者アランの「幸福論」の中の有名な一節だ。アランは、これを以下のように説明する。

「ほんとうを言えば、上機嫌など存在しないのだ。気分というのは、正確に言えば、いつも悪いものなのだ。だから、幸福とはすべて、意志と自己克服とによるものである」

カッコいい! なんてカッコいいんだ。

私は「ダメな日」という「自分ではどうにもできない日」があると思っていた。ということは逆に、自分の意思とは無関係に何をやってもうまく行く、とにかく気分のいい「ラッキーデイ」もあると思っていたわけだ。けれど、そんなものはまぼろしだったのだ。

自分のご機嫌を、あやふやな「ツキ」みたいなものに何とかしてもらおうと期待しても仕方ない。バイオリズムや運命論を信じる、私の中の「前提」が間違っていたのだ。気分は自分でコントロール可能なものなのである。何しろ、楽観は意思の賜物なのだから。

「ああ。今日はダメな日だ……」
と起きた時の気分を受け入れて、全面降伏する気満々だから、いつまで経っても気分が良くならない。自力でご機嫌な私をつくってしまえば、いつも気分よくいられる。

そこで、私はこの呪文を手に入れた時に、自分用のご機嫌マニュアルを作ることにした。不機嫌の原因を洗い出し、それぞれの対処法を作っておけば、ご機嫌は作れるはずではないか? 

思い返してみると、気分がひどく沈む時には、パターンがある。それは大別すると以下の二つだ。

①疲れすぎ
②ヒマすぎ

①については、自覚症状があるのでわかりやすい。体に出る。やたら生アクビがでたり、どこか痛かったり、頭が重かったりする。そんな時は、意識して休息をとればいいし、寝ていても治らなければ、きっと病気だ。医者に行けばいい。体を労わり甘やかし、メンテするのだ。

でも、②は気付くまで本当にわからなかった。盲点だった。ヒマな時間を心から愛していたので「まさか、この私に限って、ヒマで気が滅入るなんてありえないわ!」と長いこと思っていたのである。

ヒマには「適度な摂取は薬になるが、とりすぎると毒になる性質」がある。人が「ヒマだとろくなことをしない」のは、そういうことだ。

今回の「ダメな日」の原因は間違いなく②だ。在宅でライター仕事をさせていただいている私は、依頼があって初めて仕事ができる。ところが、この3日ほどはオーダーがなく、私はとにかく暇だったのである。

そうとわかれば、営業だ。明日は、御用聞きのメールを送ろう。依頼がなければ、自分で未来の仕事を作ってもいい。達成する快感を取り戻そう。楽観は意思だ。ご機嫌は作れるのだ。

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