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頭の中にタブーはいらない

私の高校&大学時代は、筒井康隆でできていたのかもしれない。
SFが好きというよりも、筒井先生のブラックなユーモアが、大好きだったのだ。
いまだに「関節話法」ほど、言葉だけでむりやり笑わせられる小説に出会ったことはないし、軽々と予想を越えていくストーリーたちに、どれだけ胸がすく思いをしたことかしれない。

そんな筒井先生が、昔、ご自身の作品以外でアンソロジーを編んだ。
「12のアップルパイ」という、ユーモア小説ばかりを集めた短編集だ。
すでに絶版でリンクが貼れないので、解説をコピペしておく。

著者の意図がユーモア小説だったのか、どうかは兎も角として、編者の独断と偏見を最優先。時代物から未来物までと幅広く、最も高度なユーモア精神に溢れたSF的傑作、話題作12編を収録。思わず爆笑、哄笑、微笑…と、まさに五つ星マーク付き。
集英社文庫「12のアップルパイ」解説

このアンソロジーの中に、山岳小説の大家、新田次郎の「新婚山行」という作品がある。
手元にないので、あらすじをネットから引用する。

 根塚八郎と淳子は新婚旅行で北アルプスに来ていた。しかし、友人の関屋達雄が日を間違えて予約したために、山小屋で相部屋になってしまった。
 結婚初夜を焦る根塚は屋外で淳子に迫り、淳子に怒られてしょげ返っていた。根塚の山男らしい不器用さを好ましく思って結婚した淳子だったが、あまりのデリカシーのなさに腹を立て、関屋のスマートさを思い出していた。
 天候が悪化するなか2人は槍ヶ岳、北穂高岳と縦走して来たが、横尾本谷の橋が流されたとの情報が入った。先を急ぐ根塚は、梓川を渡渉できるかもしれないと思い下山することにした。
新婚山行

これを読んで「いったいどこがユーモア小説なのだろう?」と思われる方もいるだろう。
サザエさん的な、おとぼけユーモアでは、ない。
やや毒のある、ちびまるこちゃん風味でも、ない。
うまくいかないカップルを高みの見物で嗤う、悪趣味な作品なのかというと、そうでもない。

作中、淳子は遊び慣れた女、根塚は純情で武骨な山男として描かれる。
到底、ムーディなリードなど望めない根塚に、淳子は
「私をあなたに夢中にさせて。関屋を忘れさせて」
と無茶な願いを、心の中で押し付けているのである。

プレイボーイ(死語)の関屋を遠ざけ、純朴な山男を選んだのは自分なのに。

一方、淳子に怒られしょげかえった根塚は、それならとっとと下山して、初夜を決行するぞと、先を急いでいる。
だから、増水している危険な谷川を、淳子を連れて渡ろうとするのだ。

根塚のたくましさに、ときめく淳子……。

しかし、この物語の最後は、とんでもない終わり方をする。

初夜を急いだばかりに、2人はこれ以上ない悲劇に襲われるのだ。
予想もしなかった展開に、気付いたら爆笑していた。
なるほど、悲劇と喜劇は紙一重とは、こういうことか。
筒井先生の高笑いが聞こえるようだった。

私は、子どものころ、タブーの多い環境に生きていたと思う。
「人の悪口は言ってはいけない」
「他人の不幸を笑ってはいけない」
「嫌いな人にも親切にしなくてはいけない」
「女は男を立てなくてはいけない」
知らないうちに、いろんなものが刷り込まれていた。

よそ者の母が田舎で生きる上で、そうした方が得だったからだろう。
受け継がれたタブーは、無数にあった。

子どものころのこうした禁忌を、筒井先生は、逐一壊してくれた。
「新婚山行」は、新田次郎短編集で読んでいたら、笑えなかったと思う。
「ユーモア小説」にカテゴライズしてくれた筒井先生のおかげで、私は「これを笑ってもいいんだ」と受け入れられたのである。

人の世界に、ルールは必要。
でも、頭の中くらい、タブーは無くてもいい。
もっと、自由であってもいい。
そう教えてくれる筒井先生に、青臭かった私は傾倒していたのである。

**連続投稿407日目**

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はんだあゆみ
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