頭の中にタブーはいらない
私の高校&大学時代は、筒井康隆でできていたのかもしれない。
SFが好きというよりも、筒井先生のブラックなユーモアが、大好きだったのだ。
いまだに「関節話法」ほど、言葉だけでむりやり笑わせられる小説に出会ったことはないし、軽々と予想を越えていくストーリーたちに、どれだけ胸がすく思いをしたことかしれない。
そんな筒井先生が、昔、ご自身の作品以外でアンソロジーを編んだ。
「12のアップルパイ」という、ユーモア小説ばかりを集めた短編集だ。
すでに絶版でリンクが貼れないので、解説をコピペしておく。
このアンソロジーの中に、山岳小説の大家、新田次郎の「新婚山行」という作品がある。
手元にないので、あらすじをネットから引用する。
これを読んで「いったいどこがユーモア小説なのだろう?」と思われる方もいるだろう。
サザエさん的な、おとぼけユーモアでは、ない。
やや毒のある、ちびまるこちゃん風味でも、ない。
うまくいかないカップルを高みの見物で嗤う、悪趣味な作品なのかというと、そうでもない。
作中、淳子は遊び慣れた女、根塚は純情で武骨な山男として描かれる。
到底、ムーディなリードなど望めない根塚に、淳子は
「私をあなたに夢中にさせて。関屋を忘れさせて」
と無茶な願いを、心の中で押し付けているのである。
プレイボーイ(死語)の関屋を遠ざけ、純朴な山男を選んだのは自分なのに。
一方、淳子に怒られしょげかえった根塚は、それならとっとと下山して、初夜を決行するぞと、先を急いでいる。
だから、増水している危険な谷川を、淳子を連れて渡ろうとするのだ。
根塚のたくましさに、ときめく淳子……。
しかし、この物語の最後は、とんでもない終わり方をする。
初夜を急いだばかりに、2人はこれ以上ない悲劇に襲われるのだ。
予想もしなかった展開に、気付いたら爆笑していた。
なるほど、悲劇と喜劇は紙一重とは、こういうことか。
筒井先生の高笑いが聞こえるようだった。
私は、子どものころ、タブーの多い環境に生きていたと思う。
「人の悪口は言ってはいけない」
「他人の不幸を笑ってはいけない」
「嫌いな人にも親切にしなくてはいけない」
「女は男を立てなくてはいけない」
知らないうちに、いろんなものが刷り込まれていた。
よそ者の母が田舎で生きる上で、そうした方が得だったからだろう。
受け継がれたタブーは、無数にあった。
子どものころのこうした禁忌を、筒井先生は、逐一壊してくれた。
「新婚山行」は、新田次郎短編集で読んでいたら、笑えなかったと思う。
「ユーモア小説」にカテゴライズしてくれた筒井先生のおかげで、私は「これを笑ってもいいんだ」と受け入れられたのである。
人の世界に、ルールは必要。
でも、頭の中くらい、タブーは無くてもいい。
もっと、自由であってもいい。
そう教えてくれる筒井先生に、青臭かった私は傾倒していたのである。
**連続投稿407日目**