古賀さんのこと②
バトンズの学校が、本当に終わってしまった。
この10ヶ月、古賀さんの弟子であること、古賀さんに褒めてもらえた経験があることだけが、ライターとしての私を支えていた。それ以外、何の取り柄もないと思っていたし、実際にない。
が、この認識は間違っていたのかも知れない。
昨日、本当の最後の講義となる「補講」において、古賀さんは、何度も「自分で決めたのだから」ということをおっしゃっていた。
ここにいる人たちは、みんな「なりたい」と思って「ライターになった」はずだ。
「書きたい」と思って「書いている」はずだ。
そのスタートは自分である。
誰かに強制されて書いているわけではない、と。
本当にその通りで、私はずっと「書いて生きていく人」になりたかった。
それになろうと決めたのは自分だった。
しかし、私は「決める」ということの本当の意味がわかっていなかったのだと思う。
「決める」は「選ぶ」とは違う。
「選んだ結果を引き受け、その選択でよかったんだ、と自分で思えるように努力するところ」までが「決める」だ。
選んだあと、ただぼーっと棚ぼたを待っているのは、「決め」ているようで、何も決めていないのと同じだった。
つい先日の古賀さんのノートにも、この講義につながる話が書かれている。
本当はどうであれ、こうと決める。
決めて、決めた自分になるべく行動を変える。
「まだ駆け出しだから」
「センスがないから」
「好きなように書かせてもらえないから」
できない言い訳ばかりしていても仕方ない。
古賀さんだって駆け出しだった時代はあるし、古賀さんだって好きなように書かせてもらえないことはあったのだ。
私と古賀さんの違いは、ちゃんと決めているかどうかだ。
私もライターになると決めて、ライターになった。
お仕事として引き受けた以上、自信を持ってその時できるベストを尽くす。
今後、言い訳はしない。
今回の補講でそう決めた。
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古賀さんの凄いところは、先生として「みんな」に向かって話しているのに、「わたし」に言われているように感じるところだ。
ジャンルは全然違うけれど、太宰治のよう。
そして気づく。
そのように編集して話しているからだ、と。
古賀さんの定義するところの『課題の鏡面性』は、実はバトンズの学校の講義の中の随所に存在していた。『頑強なロジック』も、ここでしか聞けない『希少性』も!
そう、バトンズの学校自体が、エネルギーと愛に満ちた大きな「コンテンツ」だったのである。
今さらだけれど、わたし、凄い人を師と仰いできたのだなぁ。
いい思い出で終わらせないようにしなくては!
**連続投稿106日目**