家にスマホを置いて、近所のカフェで『スマホ脳』を読む
『スマホ脳』の内容が入ってこない
『スマホ脳』を3章くらいまで読んでいた。人類の歴史や脳の仕組みやその脳によって現代の人々はどういった反応を示すのか、など主にこの本を読む上での前提知識が記されている。前提知識なのだから、後半に書いてあるだろうこの本の主張を理解するのに必要な内容であるはず。だから集中して読んだ。本当に集中して読んだ。でも、集中したくてもそんなに集中できない。集中するのが難しい。あまり内容が頭に入ってこない。別に眠いわけでもない。
、、、あ、手元にスマホがあるからか、とふと考えた。よし、家にスマホを置いてカフェに篭ろう、と決めた。
久しぶりにスマホなしで外に出た
何年振りだっただろう。ポッケにもカバンにもスマホがない。
マンション1階にあるゴミ捨て場にゴミを持っていく時ですらスマホを持って外に出るのに。
少しドキドキした。
別に遠くに行くわけでもない。自分が知っている道しか歩かない。だからGoogleマップが必要になる未来なんてない。
支払いができないわけでもない。普段はQRコード決済をメインで使っているが、財布は持って出掛けている。お金を払わずにカフェを出る未来は想像しなくていいはず。
仕事が停滞するわけでもない。締め切りが差し迫っているとかそんなことはないし、自分一人に依存している仕事なんてそうあるものでもない。そもそも休みの日なんだから仕事の連絡なんて無視すればいい。
それでも少しドキドキするのだから、きっと自分はスマホに依存していたんだろうな、と歩きながら考える。
お店に着くまでのたった9分。そこには見たことのない景色が広がっていた。オフィス家具の看板や人の家だと思っていた実はオフィスの建物。スマホが手元にないだけなのに、目が新しくなったような感覚だった。
コーヒーを飲み、『スマホ脳』を読む。それ以外に、やることがない
いざカフェに着いてみると、本当にやることがない。
メニューの中からコーヒーを注文し、バッグから『スマホ脳』を取り出す。たったこれだけ。
もちろん、お手洗いが近くなったらトイレに行くし、読んだ内容を整理したいなと思ってノートとボールペンを取り出すことはある。
でもスマホが手元にあった時にやっていたような、時間を確認するために画面に明かりをつけ、その流れで顔認証で開き、ついでにSNSを開いたりYouTubeでおすすめに出てくる動画をザッピングしたり、そこで出てきた広告をブラウザで開いたり、そのリンク先で出た広告をさらに開いたり、そのままブラウザが勧めてくる記事を読んだり、といったことは一切しない。
ただ本が読みたいだけなのに。スマホはこんなにも介入してくる。これに気づいてしまうと、いつも便利だと思っていた鉄の塊が急に怪物に見えてくる。
デジタルデトックスは、都会のど真ん中にいてもできる
よくデジタルデトックスという言葉を見かける。これを読んでいるあなたも見かけたことがあるかもしれない。
デジタルデトックス、と銘打って登山をしたり、海沿いを歩いたり、森の中を探検したり、自然を眺めたり、する人を見る。SNSの中で。
今までは何も違和感を持たなかったが、今ではそれは本当のデジタルデトックスではないのでは?と思う。
きっと登山をしていても、スマホのカメラで景色を撮り、そのままSNSにアップし、その次にSNSに出てくるおすすめや他の人の投稿を眺める。それで本当にデジタルデトックスできているのか、と。
とはいえ、遠くに出かけるときにスマホがないと不便なのも確かだと思う。
だから、デジタルデトックスしたい人には、家にスマホを置いて近所のカフェに本と財布だけを持って出かける、をお勧めしたい。
支配されていることに気づいた
自分はその1回のデジタルデトックスによって、いかにスマホに支配されているか、に気付かされた。
漫画『進撃の巨人』では、主人公が5歳の時に巨人に支配されていることに気づくシーンがある。
似たような体験が本書でできた。自分の手元に収まっている小さな物体に、実は自分が支配されていることに気づいた。スマホによって自分の生活は気づかない間に制限がかけられている。健康のためにウォーキングする時間はなくなり、睡眠時間も減っている。何かを学ぶ時間なんてあるわけがない。あったとしても近くにスマホがあったら集中ができない。
そう気づいた今、スマホとの付き合い方を真剣に考えたい。『スマホ脳』にはその手段が書いてある。スマホよりも『スマホ脳』に依存したい。