ひとりではたどりつけない場所に連れて行ってくれ、そこからでしか見えない景色を見せてくれる本 尹雄大さん『さよなら、男社会』
ひとはいつ自身の「男性性」を発見するのか。
いかにして「男性性」が育まれてきたのか。
「男性性」とは、一体何なのか。
50歳となった著者が幼少期からの経験をふりかえりつつ、自身の「男性性」と真摯に向き合う姿勢がとても印象的な一冊。
尹さんの著書を読むのはこの本で3冊目なのだけど、その思考の深さにいつも驚いてしまう。
この本で扱われているテーマにはもともと強い関心を持っていて、関連する本を読んだり、twitterでトピックを追ったり、自分でもそれなりに考えてきたつもりではあった。
でも、尹さんの思考はより鋭く深く、もっとずっと先に進んでいる。ひとりではきっとたどりつけなかっただろう場所に連れていってくれ、そこからでないと見えない景色を見せてくれる。尹さんが紡いだ文章を読むことで、その思考過程の一部を追随体験することができる。尹さんの著書を読むと、いつもそんな感覚を覚える。
たとえば、尹さんは「男性は論理的、女性は感情的」という紋切り型の表現について、疑問を呈している。
尹さんはインタビューセッションと称する、一般のひとたちの話を傾聴する仕事もされているのだが、申し込んでくる大半は女性らしい。彼女たちの話に耳を傾けているうちに、彼女たちには独特の文法と語彙があることを発見した、とある。
それは男性社会においては価値を見出されず侮られがちだが、「AだからB」といった単線的な因果関係では語りきれないことを、「話す」という時間の展開の中でしめす語りかたなのではないか、と尹さんは表現する。
一方、男性の「論理性」とは、実は、「自分がなにを感じているか」に着目せず、自分の中で慣れ親しんだ男社会の平均的な考え(=社会的な合意がとれる論理)に従って考えているだけかもしれない、と指摘する。
ここで、ミヒャエル・エンデ『モモ』に出てくる灰色の男たちを思い出した。ひとびとに「効率的な生き方」を説き、時間を奪う灰色の男たちは「自分の言葉」を持たず、発する言葉には温度がない。尹さんの著書における男性性/女性性は、『モモ』では大人/子供の構図に置き換えられている。
尹さんいわく、男性間のホモソーシャルな関係性においては、年齢や社会的地位に基づいて優劣が決められ、非礼や理不尽を受け入れることで育まれる。支配構造の上に立つべく、「ありえたかもしれない自分」を設定し達成しようと駆り立てられる。ここで、そもそも自分に課された課題が適正かどうかは問われず、「できるか/できないか」のみがフォーカスされる。そのため、常に「なりたい自分」と「そうではない自分」のギャップを認識させられ、社会的に認められないことを恐れ、できないことは弱さとみなされ、自分の弱さを受けいれられない。
どこか他人事として読み進めてきたわたしは、ここでぎくりとしてしまった。「ありえたかもしれない自分」や「なりたい自分」を常に設定し、「そうではない自分」と比べて傷つき、悩むのは、わたし自身が飽きもせず何十年もしつづけている行為でもあるからだ。
男性性はなにも男性に固有のものではなく、女性のなかにも存在する。男性性は男性という性別をさすのではなく、社会において求められる役割と、盲目的にその求めに役割を応じようとするがゆえに、あとから獲得されていくものだからだ。
いまの日本社会において、圧倒的に権力を握っているのが男性であり、それゆえに男性に心地よく社会が設計されている。その前提のうえで、男性性が男性性として成立している。便宜的に「男性性」と称されるものは、社会がその構成員にそうあれと要求する価値観であり、とても資本主義的だとも言える。
この本がいまとても大事だと感じるのは、尹さんは男性性を中心に据えた(男)社会の功罪を明らかにしながらも、自らを男性性を「脱した」人間に位置づけて男性を攻撃するのではなく、あくまで当事者としてのスタンスを保っているからだ。
尹さんは男性性のありかたの解明にとどまらず、それがどうやって形成されてきたのかまでを視野にいれ、自らの経験をベースに丁寧に解きほぐそうとしている。誰か(あるいは自分)を責めたり、一方的に弾圧するようなことは決してせず、それらがどこからくるものなのか、を考察しようとする。
だからこそ、読み手のわたしにとっても自分事として伝わってくるし、もしかしたら日頃フェミニズムに対してうっすらとした反感を抱いているかもしれない男性にも、受けとりやすいのではないかと思う。
(その反感はフェミニズムが一方的に男性を糾弾するもの、という誤解に基づいているのではないかとも、同時に思ってはいるのだけれど)
尹さんのありように、わたしは書き手としての真摯さと誠実さをとても強く感じるし、尹さんの著作を読むたびに、このひとが書くものをこの先も読んでいきたいという信頼が厚くなっていくように感じる。
わたしの思考力が未熟すぎて、尹さんがこの本で伝えてくれようとしたことのどれくらいを受けとめられているか、正直なところ自信がない。でも、この本を読んだことで確実に一歩前に進めたし、もっと先にいきたいとより強く願うようになっている。