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2021/06/29 即興詩「月日、私の証 : 若しくは」
月日が経つことの幸せ
それは 誰しもが
いつでも 気づけるわけではない
歳を重ねることが
恐ろしくなればなるほど
その幸せは遠のいていく
生きた証を
誰もが欲している
私がこの世に生まれた証を
残したいと願う
しかしそれは 当たり前のようで
多くの場合
必要のないことだと気づいてからは
もう戻れないくらいの月日が経っている
月日の長さよりも
今この瞬間何を感じているか
そこに目を向けた時に 初めて
月日が経つことの幸せが感じられる
重ねていくことの幸せは
重ねていくことでしかわからない
重ねていくことの価値は
重ねていくことでしかわからない
それが 時間と隣り合わせな僕らの
一つの使命
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なるべく考えずに、流れてくる言葉を丁寧に拾って紡ぐようにしているのですが、例えばこれが結果が期待されているような媒体だとうまく書けなくなります。
結果を修正しようということがあまりに不自然だし、それが気に入らなくなってしまう。面白くないのです。
品質を、と求めるとして、その品質の基準やニーズは人それぞれなのは自明です。
なるべくオーガニックなものをという人と、丹精込めて作り上げたゴテゴテの作品を欲す人と、当然持っているイメージは違います。
それならば、自分が望むようにやってみて、それが喜ばれる人に届けられるのが一番いいですよね。
やはり順序は、「自分が大事にしたいこと」→「人に望まれること」なのだと思います。
話がそれましたが、結果を予測せずに書くため、書き終わったら自分もまだ知らない価値観に出会えることがあります。
今に目を向けて、やっと月日を重ねる幸せが生まれる。
やはり、後悔というものはみんな大好きで、いくらでも脳みそに留めたくなってしまうようです。
後悔の時間を積み重ねるのか、それともそれ以外の時間を重ねるのか。
ああ、おじさんになったなと振り返るのは、もう少し先でいいかなと思いました。