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作曲と作詞のあいだにあるものは何か。

僕は、大学1回生(関西の大学はなぜか○回生という、これは関西だけ?)の時に、部活の先輩から楽譜作成ソフト「finale」を譲り受け、そこから、初めは遊び感覚で使っていたのだが、次第に作曲にのめり込むようになった。夜の11時から始めて、気がついたら朝になっているということもざらであった。独学で少しずつ腕を磨き、そこから音楽を専門的に学ぶようになり、課題等で曲を作るようになったのだが(もちろん卒業制作でも作品を作った)、未だ成し得ていないことがある。

それは歌曲の作曲である。要するに歌詞を書くという行為だ。
もちろん既存の詩に旋律をつけるという方法もあるのだけれど、どうしてもうまくいかなかった。
作ることを避けていた、というのもある。
自分の言葉に自信がなかったのかもしれない。

僕は、歌詞を書いたことがない。

ひょっとすると、普段、僕のZINEやnoteなどで、文章を読んでくださっているからすると意外に思われるかもしれないが、文字は書いている。詩もたまに書く。でも歌詞は何度挑戦してもうまくいかない。

曲は作る。本も書く。
なぜかその2つが繋がらない。
どうしてなのかわからないが、繋がらないのだ。

僕は、何度か歌を作ろうとした。
でも、できなかった。

なんで?

シンガーソングライターの方が、次々に素敵なメロディと同時に心に響く言葉を紡いでいるのをみるたびに僕は嫉妬してしまう。

僕が嫉妬——というのはあまりにもおこがましいのでやめておこう——、もとい尊敬しているのは、川谷絵音、山口一郎だ。旋律と歌詞を同時に生み出し、独自の世界を形成している。彼らの作る音楽は独創的で、刺激的だ。あと、星野源はずっと好きである。

だから、作詞作曲で同じ名前が並んでいるのをみると、なんだこいつはバケモンか、と感じてしまうのだ。それくらいすごいってことね。

いまだにわからない歌の作り方。

作曲家や作詞家で食べていけるような実力は到底ないので、別にいまさら気にしなくても良いのかもしれないが、でもなぜ僕は歌が作れないのか、作りたいと思っていないのか、いや、そんなことはない、歌が一番わかりやすい音楽だと思っている。

わかりやすさゆえの恐怖なのかもしれない。

自分の力のなさがバレてしまうのではないかとビビっているのかもしれない。

この世界には歌が溢れている。
それがどれだけすごいものなのか、というのを噛み締めながら、僕は聴いている。

僕の場合は安易に合体させない方が良いのかもしれないと、半ば諦めている。
音楽は、歌のない音楽を作れば良いし、詩は歌詞でなく、ことばそのもので成立するものを書けば良い。

昔の曲って作詞家と作曲家がタッグを組んで分業していたイメージがあるのだが(作詞松本隆、作曲大瀧詠一みたいに)、最近はどちらもやってしまう超人が跋扈している(口悪な)と思うと、ものすごい世界である。

まず、歌詞を書くべきなのか。
それともメロディーを書くべきなのか。
それとも和声(コード進行と言った方が良いか)を作ってしまうのが良いのか。

わからん。本当にわからん。
そうやってわからんわからんと悩んでいるくらいの方が、ある日突然ポンとかけるようになるのだろうか。

誰よりも出来が悪い弟子が、誰よりも早く、ある日突然悟りを開いた、みたいな話あったよな。そんなことが起きるのだろうか。

創作の世界というのは、奥深いな、と思った。

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守田樹|凡庸な日常
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