毒親やヤングケアラーという言葉がかなり市民権を得てきている今。
親から虐待されていた、すごく懲罰的だった、ネグレクト状態だった、そんな”発話された経験”を聞くことが多くなった気がする。
「とは言えさあ。なんでそんなどうでもいいことで悩んでいるの?なんでそんな失敗するの?なんで健康的な生活ができないの?なんで学ぶことが純粋に面白いと思わないの?」
過食・ギャンブル・薬物・セルフネグレクト・引きこもり・犯罪。
そこまでしちゃったらさあ。流石に辛い経験してたとはいえ、擁護できないよ。自己責任でしょ。
辛い経験をしたらしい人たちについて、不思議で理解できないことがいっぱい。
秀逸なひとたちからすると、そう見えているのではないか?
そう感じることがこの頃ある。
そんな人たちに届けば良いとかまでは思わないけど、久々にひらいた4年前の読書メモの要約のデキがよかったので、ネットの海の流しておこうと思います。
ベッセル・ウァン・デア・コーク=柴田裕之(2016)『身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法』紀伊國書店
いまいちど、読み返してみよう。