旅に出たい欲を本で埋めたら、スウェーデン人と初対面
あなたはスウェーデン人と会話したことがあるだろうか?
スウェーデン人が日頃どんなことを感じていて、どんなふうに世界をみているのか想像したことがあるだろうか?
ほとんどの人がないと思う。
この「旅の効用」という本は偶然手にしたのだが、この本を通してまさか自分がスウェーデン人の価値観を目の当たりにするとは全く思っていなかった。
本は脳内で旅をするための最高の媒体
現代は本当に便利になったから、どこにいても海外の写真であったり、動画をみることができる。
YouTubeで行きたい国の名前を入れれば、その国の映像がたくさん出てくるだろう。もちろんない国もあるだろうけど。
そんな現代で、「本」という媒体と「動画」という媒体の違いを考えてみた。
基本的に「本」というものは、著者の長い年月で積み重ねた経験などを下に書かれていることが多い。
多くの本は、その人の5年以上の間で経験した内容を読者にわかりやすく、かつ読者の有益な部分をピックアップして書かれている。
中には、著者の人生をかけた一冊であることも少なくない。そんな一人の人生をかけた本を僕らが手に取り読めるということは、これ以上ない幸せなことだと僕は思う。
それに対して、「動画」というものは(特にYouTubeなどの10分〜30分程度の動画)その人の経験から生まれているものではあるが、その期間は非常に短い。
基本的には、旅の動画などであれば2泊3日で行った韓国の旅の動画出会ったり、長くても1週間程度の動画である。
1冊の本を読むのに必要な時間が3時間だとしたら、YouTubeの動画を3時間同じ国のテーマで見れば、いろんな場所の映像がみれるだろう。
ただ、そこに一貫性はなく、同じ1つのメッセージもない。
それに対して、本というのは著者に必ず主張したい強いメッセージがある。
そのメッセージを中心に、自分の経験してきたことを読者が想像しやすい形で説明してくれる。
著者のメッセージが一貫していればしているほど、著者が経験してきた多くのことに味わいが生まれ読者の想像力は掻き立てられる。
また、当たり前だが本は文字で書かれているので、映像や写真などビジュアルがない。だから、読者が著者の書いている情景を想像しながら読み進めるのだ。
ここに、最も動画と本の違いが現れていると思う。
動画は受動的のコンテンツであり、本は受動と能動の両方を兼ね備えたコンテンツである。
本は受動的よりも能動的の方が強いと思う。
なぜなら、同じ文章でも読者によって思い浮かべる映像は全く違うものになるからだ。
そういう意味で、本を読むことは受け取る側にとっては非常に自由であると捉えられる。このことから、僕は本が脳内で旅するための最高の媒体であるという結論に至った。
(ラジオとかその他の媒体について触れていないので、考察として幼稚であることは目を瞑って欲しい。自分自身が最もよくわかっているのでwww)
スウェーデン人と初めて話した
「旅の効用」を手にしたときに著者がスウェーデン人であることは全く知らなかった。
僕はこの本の中で著者のペール・アンデションさんと長い旅をすることになる。彼は過去30年も世界各地を旅しているいわば旅のスペシャリストだ。
その中でも、インドのムンバイは何度も何度も訪れているという。
そんなスウェーデン人の中でも超特殊な人だと思うが、そういう人の価値観や考え方、またどんな世界を生きているのかを知れるこの本という媒体にすごく感動した。
それと同時にとても幸せな環境で生きているということを再確認した。
スウェーデンも日本も先進国で高齢化が進んでいる。
どちらも世界全体でみると、非常に豊かで医療や教育など、様々なインフラが整っている。
そんな国に生まれ、そんな国で育ってきた人にとって、旅とはなんなんだろうか?移動することの意義はどこにあるのだろうか?
そんな問いについて、延々と自身の経験や旅の先輩方の記録をもとに、語っているのがこの本である。
たぶん、この本が面白いと思うかつまらないと思うかは両極端だと思う。
いろんな価値観を知り、未開の地や自分の価値観をいい意味でぶっ壊してくれる場所に、少しの危険を顧みずに行きたいと思える人は絶対面白く感じるだろう。
そうではない人には、この旅人の価値観をつらつらと書かれても何も響かないかもしれない。
つまり、この本は読む人を選ぶ。
冒険好きなら是非この本を手にとって欲しい。
冒険に価値を感じない人にはこの本は超退屈である。
人間はみな冒険好きのはず
冒険に価値の感じない人にはこの本は超退屈である。
この言葉とは矛盾するかもしれないが、人間はみな冒険好きだと思っている。
この本にも書いてあるが、元々私たちの祖先は遊牧民なのだ。
1万3千年前まで、農業が生まれていなかった時までは、人は移動しながら狩りをして食料を得て生きていた。
だから、潜在的に人間は移動を欲する性質を持っているはずなのである。
それが、文化が発展するにつれて人は移動しなくても食料を得る方法を覚え、食料を蓄える方法を覚え、暖かい家を作り、寝心地のいい寝具を作って生きることができるようになった。
さらに文化が発展し、国が生まれ、お金が生まれ、移動手段を得ていろんな場所で生きることができるようになった。
移動しなくても生きることはできるが、人は豊かさを得てまた旅に出るようになったのだ。
どんなことにも当てはまると思うのだが、旅もまた時代の流れによって独特の波を打って現代まできていると言うことに気づかされた。
「旅」についての認識が大きく変わった2020年
そして、今まさに世界が大騒ぎしているコロナウイルスによって、旅のあり方に変革が起きている。
昨年まで、多くの移動があった国と国の間の移動がほとんどなくなり、人がなぜか国から出なくなった。
僕がなぜかと付けたのは、国と国の間で国交を経つと言うことは、日本人は日本でアメリカ人はアメリカで中国人は中国で生きるのが基本なんですよ。
という謎の固定観念がそうしているように思われる。
各国が海外からの渡航者によって、感染が拡大しないように自国の国民を守りたいという理論はわかるのだが、僕は日本人である前に地球人なんだが!と言いたい。
地球全体でコロナに打ち勝つために、国連に加入している国は国交を遮断しましょう。という指針ならば納得いくのだが、結局やっぱり国というものに縛られている感が僕的にはしっくりこない。
もっとフラットな国の関係性を作ることはできないものかと日々考える。
例えばだが、沖縄に行くのと台湾に行くのって何がそんなに違うの?って思ってしまう。
そりゃ法律も言語もいろいろ違うところはあるけれど、結局今沖縄に行けて台湾に行けないのって、
台湾が日本を日本が台湾を、
海外と、
違う国だと、
違う人が生きている場所だと、
認識しているからですよね?!
僕の正直なところ、こういう国と国の隔たりを可能な限り無くしていくことはできないものかと思う。
極論、国の必要性というものを疑問視しているのが最近の僕である。
全世界の関税や出入国税をなしにして、仮想通貨かなんかを主な決済手段にして、パスポートも廃止してみたらどうなるのかなぁ。
意外とそんなに大きく生活は変わらないと思うんだけどw
とまぁ、かなり「旅の効用」という本の内容からは脱線しましたが、旅に出たい欲を解消するためにこの本を読み、これからの旅について自分が思っていることを勝手にぶちまけたnoteでした。
こんな感じのbook reviewは今回までです。
次回以降のレビューは、その本を読んで
どんな人のどんな悩みがどんな風に解決するかを自分なりの解釈で書いていくものにしようと思っています。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
それでは、
See you very soon!!!!!!!