僕たちは戦争を知らない。
8月15日。終戦記念日。
今までこの日について考えることや実行することなど、ほとんど皆無だった。
8月15日といえば
学生時代は、夏休みで楽しい日々の中で過ぎていく日。
社会人になってからは、数年前まで年中働いていたので、その働く中の1日として過ぎていく日。
他の休みの日や、他の働く日と何も変わらない
僕にとって何一つ特別な日であると思っていなかった。
そんな僕に2年前の8月15日、双子の娘が舞い降りた。
簡単に表現すれば、二人の天使が生まれてきたのだ。
その二人の誕生日が8月15日になったことに、何か意味があったのだろうか…
それはわからないが、二人が生まれたおかげで
「8月15日」という日を強く意識するようになった。
そして、読書という習慣を身につけた僕は、8月15日に戦争の本を手にとった。
これは2015年の終戦70年の年に出された本。
僕と同年代の記者たちが、祖父や戦争を経験した方々へインタビューし、70年前に起こっていた日常を綴っている。
最初に言っておくと、これを読んだところで実際に経験するのと同じ知識や体験は得ることができない。
ただこの本には、第二次世界大戦で日本人にどんなことが起き、どんなことをして、どんなことを経験したのかがある程度理解できるようになっている。
戦争全体のほんの一遍でしかないだろうけど、実際に経験した方々から得られる言葉。そして、僕と同年代の記者がそれを聞いてどう感じるか。
とても参考になる本だった。
それと同時に僕はこれまで戦争というものを全く知らなかったと実感した。
また、知らなければならないとも思った。
「戦争は絶対にしてはいけない」
「戦争は誰も幸せにならない」
常識としてこんなことはわかっている
と、慢心していては、同じ過ちを繰り返す気がする。
正直言って、この本を読む前の自分がそうだったように思う。
はっきり言って、この本を読むまでは
日本のことを
世界で唯一、原爆が落とされた被害国
くらいにしか思っていなかった。
日本が戦争でしたことにほとんど目を向けていなかった。
実際は全く違う。真逆と言っても過言ではないかもしれない。
当時の日本は傲慢で卑劣で浅はかだった。
相手国や戦場の国の人々を、人間として扱っていなかった。
自国の兵隊を人間として扱っていなかった。
国が悪い。トップが悪い。
そう決着を付けられる問題ではない。
当事者意識が全国民まるでなかったのだろう。
もちろんそんなことを言ってられる状況ではなかったのかもしれないが、それでももっと多くの人が自分の信念にしたがって主張できていたら、戦争が終わるのは75年前の8月15日ではなかっただろう。
とはいえ、日本が粘ったことでアメリカが原爆を落とし、その恐ろしさが世界中に広まったわけだから、原爆の恐ろしさを伝えるという意味では、この歴史は必要なことだったとも言えるのだが…
原爆ができた以上、いつかはどこかの国が被害にあう。それが75年前の8月6日と9日の日本だった。当事者はこんなふうに割り切れないだろうけど、事実として日本に落ちていなかったら他の国に絶対落ちていただろう。
だからこそ、日本国民は戦争の恐ろしさを忘れてはいけないし、世界に主張していかなければならないと感じる。
当事者意識がまるでない。
僕としては現代の日本もそれと似た現状ではないかと危惧している。
日本にいれば安心、日本は治安もいいし保障もなんとかなるだろう。
そう思っている人が多過ぎないだろうか?
自分で考えて自分で行動している人があまりにも少ないのではないか?
日本は今、平和である。本当にそう思う。
これも戦後日本を支えてきた人たちの成果で、とてもありがたいことだ。
その感謝の気持ちを絶やさず、この激動の時代により豊かになるためには、古い価値観を受け止めつつも変えていかなければならないと思う。
偉そうに説教する立場にない自分がこんな文章を書くのは正直どうかと思ったけれど、戦争と少し向き合ったことで気づいたことをここに残しておこうと思います。
それでは
See you very soon!!!!!!!