[鬱体験記5]会社方針との付き合い方
今回は私が孤立するきっかけにもなった会社方針との付き合い方について私なりの考察を示したいと思います。
色々なご意見があると思いますが、お付き合いいただけましたら幸いです。
会社方針が変わり、実際に動きが出たのは数年前のことでした。
私の仕事に関わる人たちは徐々に違う仕事に移り始めました。
そう、会社方針は我々の仕事を一掃しようとしていたのです。
私はというと、最後まで関わり続けたいと考えていました。
理由は簡単です。
まだ必要な仕事だと思っていたからでした。
しかし、会社方針に忠実に従うマネージャーの方々は黙々と実行していきました。
私や私と同じ意見を持つ人たちの声はほとんど届きませんでした。
最初のうちは同じ意見を持ったマネージャーもいましたが、相手は会社方針です。
マネージャー層も方針に同意するか、傾倒できる人ですぐに埋め尽くされました。
やがて私にもその波が直接押し寄せてきました。
「今の仕事はもうなくなる。新しい仕事を探せ。」
私は反発し続けました。今の仕事は半分は残すと言い続けました。
新しい仕事は自分で探さなければなりませんでした。
そう、このような状況、組織ではマネージャーにもアイデアはありませんでした。
残った人たちと一緒に何ヶ月も考え続けました。
そして、企画を立ち上げました。
まずは周囲数十名の方に見ていただき、9割の支持を得ました。
そして、部署のトップに見せました。
しかし・・、トップの独断で全てを否定されました。
このことは、私が限界に達してしまった直接的な原因の1つとなりました。
今回の方針転換の繰り返しで被害を受けたのは私だけではありませんでした。
他にも異なる仕事を余儀なくされて新人のように働かされたり、出世候補だったのに昇進が遅れに遅れたり、異動に異動を繰り返すことになった方もいました。
ところが、今の状況はどうでしょう。
面白いことに、我々が必要と言い続けた仕事はまた復活し始めているのでした。
ハイプサイクルというものがあります。
新たな技術は初期に過剰な盛り上がりを見せる、というものです。
そうです。我々の仕事は他の技術の過剰な盛り上がりに見事にやられたのです。
結局はエンジニアが想像した通りに動いていると言うのに・・。
さて、話を戻します。
我々は会社方針とどう付き合うのが良かったのでしょうか。
今回の組織変更は非常に大規模なもので、多くの事例が見られました。
実際にどのようなパターンの人がどうなったのか振り返りたいと思います。
私の見た中では大きく分けると以下のパターンがありました。
・大きな業務転換を希望した方々
・大きな業務転換を強制された方々
・類似の業務へ転換した方々
・最後まで業務継続を希望した方々
まずは、大きな業務転換を希望された方々。
積極的かつ理想的に見えますし、私も実際に希望を出すか悩みました。
しかし、実は結果的に幸せに見える方は少なかったです。
中には異動したものの、元に戻ってくるようなパターンもありました。
理由としては、ごく少人数で未経験の仕事に突入したことだと思います。
既に信頼関係の築かれた組織へごく少人数で飛び込むことの難しさ。
現実としては相当優秀かつ運の良い方でないと難しい選択だと感じました。
次に、大きく業務転換を強制された方々。
この方達は出世は遠のいたものの無難にやっている方々が多いように見えました。
そして、総じて希望異動された方々よりも幸福度は高く見えました。
理由は、希望異動に比べると比較的多い人数での異動であったことだと思います。
未経験とはいえ、元々信頼関係を築いた方々と一緒に学べるので心理的安全性が高いままに、時間と共に組織に馴染むことができたのだと思います。
次に、類似の業務へ異動した方々。
この方々は、うまくいっているか散々かの2パターンでした。
私の見るかぎり、散々な方々は人員が足りている中に半ば強制的に入っていくことになった方々でした。
この場合、新たな仕事を生み出すか、優先度の低い業務を任されることになってしまったようです。
そして、うまくいっている方々は、人員不足の中に入っていくパターンで、得意分野をそのまま活かせ、一番幸せな選択になったように見えました。
そして私のように最後まで現職にこだわるパターン。
このパターンでは最終的には類似の業務への転換となった方が多いですが、多くの場合、強制的に人が足りている中に入っていくことになりました。
そのため、類似業務への転換のなかで散々なパターンに近い足跡を辿る人が多かったと思います。
ただし、早々に類似業務へ異動する方よりも良かったように思います。
理由は、ギリギリまで評価され易い中で過ごすことができたためです。
私は異動後には適応障害にはなってしまいましたが、実はその直前に昇進させていただくこともできていました。
また、元業務にこだわり続けることで、自分自身が正しかったのだとプライドを保つこともできました。
私が考える幸福度の高い順に並べると、
「必要とされる類似業務への異動、大きな業務転換の強制異動、ギリギリまで現職継続、大きな業務転換の希望異動、類似業務への異動」でした。
つまり結果を見ると、大事なのは「期待されているか(人材不足の中に入っていけるか)、かつ、信頼関係(必要とされている人材か)が築けるか」でした・・。
大きな方針転換の中で私たちはどう振る舞うべきなのでしょう?
私の結論としては、「転換前までに勝負の半分は決している」です。
そう。それまでにどれだけ必要とされる人材になっているか、です。
そして残り半分は、選択肢が与えられた時に自らの信頼関係が築きやすい選択をすることが重要だと思います。
どれだけ綺麗事をいっても所詮人間は社会の中で生きる生き物です。
結局は業務そのものへのこだわりよりも、必要とされることの方が大事なのです。
適応障害になった今では良くわかります。
私は異動前に昇進を勝ち取ったのに、異動後には信頼を勝ち取れず孤立しました。
何の仕事をするかよりも、周囲の信頼、期待を勝ち取ることが精神的に安定して仕事をするためにとても重要なことだったと実感しています。
極端な話、誰が正しいのかはそれほど関係ないのです。
会社方針は間違いを認めた時にようやく戻ってくるのです。
ですから、技術者がそれまで生き残ることのほうがずっと大事なことです。
そして、そのためにエンジニアとして大事なことは、高い技術、もしくはオリジナルの技術を磨くことだと感じています。
それがエンジニアとして必要とされる人材になることだと思います。
とにかく普段から結果だけでなく技術力にこだわること。
私はこれからより深く肝に銘じていきたいと考えています。
最後に1つ。
今回の方針転換の結末は、結局はエンジニアの予想に沿った形になりました。
私は方針を決定する側の方々へ強くお願いしたいのです。
エンジニアの意見を尊重してほしい、と。
そして、世の中の情勢に惑わされることなく、広く意見を聞き入れ、現実を理解する努力を怠らないでいただきたい、と。
方針が戻り、一部の仕事が再スタートとなったわけですが、失ったものは計り知れません。
人材、知見、モノ、設備・・・。
私は少しでもこのようなことが減り、働いている皆が活力を持って幸せに過ごせると良いな、と願ってやみません。
斬新な方針転換はとてもインパクトがあり、華々しいです。
ところが、組織変更はそれ自体にリソーセスを要し、激しい人材流動は記しきれない知見を失います。
気づいてからでは遅いのです。
華々しい方針の裏側で、組織は愚直に、十分な検討の上で動かしていただきたいと切に願います。
今回は会社方針との付き合い方について考察してみました。
皆様の中にも会社や組織の方針と相容れずに困っている方が見えると思います。
そして、それが私のように異動や孤立のきっかけになることもあり得ます。
自分がその渦中に置かれた時、キャリアを守るのか、新しいチャレンジをするのか迷うと思います。
そんな時、ぜひもう一つ考えてみてください。その後の信頼関係についても。
この記事が少しでも皆様のご参考になれば幸いです。
次回は今回のような反省点も踏まえて、私の考えるこれからの生き方について思うところを綴ってみようと思います。
お読みいただきありがとうございました。