他人を攻撃する心理
人に攻撃されたことありますか?
私はあります。
人は他人の脅威になると攻撃されます。
私は脅威だったのでしょうか?
思い起こすと
強く攻撃されたと思うのは、
母、祖母、同級生、先輩、上司、先生、義父母など
考えてみれば、だいたい私より立場が上、もしくは同等の人です。
何でそんなこと言うの?
何でそんなことするの?
理由なんてよくわからない理不尽なことが多いです。
ただ、回り回って聞く理由は、
「気に入らない」
言葉や態度がそうみたいです。
元々私は、気になったことや疑問に思ったこと、自分は違うということを言うほうでした。
それが「生意気」だったようです。
小・中学生の頃には、家でも学校でも攻撃を受けて、段々と自分の思いや考えを言うのを避けていました。
人は自分の意見を色々と言います。
それを周りは受け入れて、もちろん私も受け入れています。
でも、私が意見を言うと、必ず「おかしい」と反感を買っていました。
何がおかしいのか、ダメなのか、全然わからず
私っておかしいのかな?
そう思っていました。
ただ、親友だけが「私はそのままで大丈夫」と言ってくれたことが唯一の救いでしたが、高校を卒業して離れ離れになり、私を認めてくれる人が身近にいなくなりました。
一人、どうしたら気に入られるか、そんなことを考えて、本意ではないけど、持ち上げたり媚びたりすることもありました。
でも、それは長続きしません。
どうしたら良いのかわからないまま大人になってしまい、結婚してもまだわかりませんでした。
なぜなら、夫からも私は「変わっている」と言われていたから。
夫曰く、どうやら私の考え方や感じ方は少数派らしく「大勢の人から見ると変わっている人に見られやすい」とのこと。
だけど、夫からすると「それが私の良いところ」だと、けなされているのか褒められているのかわからない言葉で表現してくれました。
「理屈を求めて人が考えていないことを考えているから、そんなことを考えていない人から見ると、あなたの存在は怖いんだよ。俺も寂しくなるくらい冷たい返しだから、楽して慣れてない人には辛いだろうけど。でも結局真をついてるからそれでいいんだよ。」
それを言われた時は、悪い部分しか自分で考えられず、
「私って、人から怖いって思われてるんだ」
と落ち込みました。
それが、心理学を勉強して夫の言葉を理解できました。
人はわからないものには脅威を感じる
言われてみれば、オカルトなどそうです。
今は自分が理解できているので、自分のどういった言動が人に脅威になっていたか思うところがあります。
反感を買う時は、概ね人の感情に同意しなかったときです。
人は、感情には同意して欲しいものなのですが、そこに同意がなくて他の物を求められたら、それは脅威です。
例えば、
母が「お姉さんなんだから我慢しなさい」と言います。
母の感情は私に我慢して欲しいだけです。「はい」と言ってくれさえすれば良いのです。
でも、私が「お姉さんだと何で我慢しないといけないの?」と質問すると、「はい」と言って欲しい母の感情を逆なでして怒られます。
同級生と掃除をしていて一人が「もう面倒くさいから終わり」と中途半端に終わろうとして、他のみんなが「そうだね」と終わりにする時、
私一人だけが「まだゴミ残ってるから」とほうきで掃き続けると、「おかしいんじゃない」「それくらいのゴミでいつまでやってるの」と反感を買います。
人が発する感情に対して、質問したり、同意しなかったりして「やっかいな人」だと思われ、人の脅威になって、さらに攻撃されるの悪循環を繰り返していました。
威圧的にしているつもりはなくても、脅威を感じさせてしまうのは、私の考え方のクセのせいだと思います。
私は、なぜそう考えたのか、そう言うのか、その理屈が知りたいのです。
理屈が通らないのに、それをする、しない意味がわからないのです。
「お姉さんが我慢しないといけない」のなら、なぜそうしないといけないのかの理屈を母に求めました。
母の発言に理屈はありません、そうして欲しいから言っているだけです。
なのに、理屈を求めると母を追い詰めてしまいます。
「ゴミが残っているのになぜ最後まで片づけないのか」と思うと、それに「はい、そうだね」とは言えず、代わりに「なぜ片づけないの?」と聞いてしまいました。
「なぜ?」なんて聞かれると責められている気分になったと思います。
今は相手の立場に立って考えると「今これは言われたくないだろう」と考えることができますが、子どもの頃はそんな余裕はありませんでした。
感情は理屈抜きです。
それに理屈を求められると、人は困惑します。
「何で、こんなこと聞くんだ?」
自分を困らせる相手は嫌な人です。
「そんなこと聞いて、おかしいんじゃない?」
確かに、相手が感情で動いているところに、その感情がなぜ出てくるのかを聞いていました。
その感情があることは理解できても、なぜその感情になるのかが納得いかなかったのです。
人は、自分の意見を承認してもらいたい生き物です。
それが、理論でなく感情であればさらに承認欲は高まります。
同意してもらいたいのです。
心理学を学ぶまで、そんなこと知りませんでした。
そういう意味では、私は相手の感情に立っていなかったと考えました。
相手の感情に立つということは、自分が知りたい理屈は置いておいて、まずは相手の感情を受け入れることです。
相手は受け入れられた安心感で、信用や信頼をしていきます。
私は、その信用や信頼がないままに、自分の意見を言ったり、知りたいことを聞いていました。
子どもの頃、母は私を信用も信頼もしていませんし、同級生からみても私は影響力がないただのクラスメイトです。
その結果が「やっかいな人」です。
周りが理解に苦しむわからない脅威になっていきます。
「気に入らない」
「生意気だ」
脅威をそう簡単に受け入れるわけにはいきません。
そんな脅威にならないためには、私が人の感情を一旦受け入れる。
しっかり受け入れた上で、その感情が湧き出た理由を尋ねる。
他人が攻撃する心理を自分に求めた結果の答えです。
この答えが出てから、母との距離は縮まりました。
他の人との距離も縮まり、さらに、人の感情に寄り添う仕事をしています。
色んな本を読んで、良い人間関係を作るには、まずは共感や傾聴が大切と必ず書いてあり、行きついた答えはきっと正解だと思います。
それともう一つ分かったことがあります。
後輩などから攻撃された記憶がないのは、自分が先輩で疑問や質問をすると、その感情を面倒くさいながらも一生懸命説明してくれていたからです。
私は納得すると、次は解決に向かって動くので結果として理解してくれていたようです。
結局、他人が攻撃する心理も理屈を考えないと納得までたどり着けなかった面倒くさい私。
理屈をすぐ聞くこんな私に鍛えられたという夫。
夫の言葉のおかげで成長ができました。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
「自分の和む調べ」をテーマにnoteを書いています。
あなたの和む調べを創るお役に立てればうれしいです(^^♪
気に入ってくださった方、スキしていただくと、とっても励みになります!
感じたこと、思ったこと、疑問、質問などコメントお待ちしています。
フォロー、シェア、そしてサポートしていただけるととっても喜びます!
よろしくお願いいたします\(^o^)/