2020年11月25日。午後0時51分。 私たちのもとに、待望の女の子が 生まれてきてくれました。 妊活期間から考えると本当に長い間待っていたので、 分娩室に移動する前から 旦那さんは泣いていたらしい。笑 (私は疲労困憊でやりきった感の方が大きかった) 陣痛〜出産のリアルエピソードは、 旦那さんがvoicyでまとめてくれているので、 そちらから是非(^_^*) いやぁ、本当に大変だった。笑 出産から2週間以内に出生届を出すわけですが、 大事になってくるのが それまでに
いよいよ復帰します。3年半ぶりに。 31歳ではじまり、今は34歳。 仕事をしていた頃の自分が随分前に感じる。 何が得意で、何が好きで、何に必死だったのか。 鮮明に思い出すことが難しいほど、3年半という時間は長い。 でも時間だけがそうさせたのではなく、子育てに没頭していた。仕事をしていた頃とは全く違う日々を過ごしていた。 なぜ、今復帰することを選んだのか。 この、3年半の育休が与えてくれたものはなんだったのか。 言葉にして残しておかないと、この全てが新しい日々の中で、埋
稟が生まれて今日で4ヶ月。 生まれた日の気持ち、 妊娠が分かった日の気持ちを、 ぶわーっと鮮明に思い出して、 今ここで息をして眠っている稟がいる奇跡に涙が出て、久しぶりに稟に手紙を書きたくなった。 同い年の人より、卵のできる数が半分で、 妊娠を保つためのホルモンが足りなくて。 何度も注射をして薬を飲んで病院に通って、 何度も検査薬でがっかりして涙を流して。 ようやく、去年の3/24に、妊娠が分かった。 そこから1年だからかな。 鮮明に感情が蘇ってきたのは。 眠る
年の瀬。 せっかくだからと思って、 直近1年じゃなくて過去全部振り返る勢いで振り返ろうと。 小学校の頃から社会人1年目まで振り返っていたシートを見返して、 社会人2年目から今までを追記して、 この1年の未来を描こうと思って、 過去の投稿やブログを見返していて思った。 未来は、未来で突然現れるのではなく、 過去の延長線上にあるんだということ。 CRAZY WEDDINGに出会うまで、 「プロデューサー」という言葉を使ったことがないと思っていたけど、 社会人2年目の頃、プ
小さい頃、ディズニーランドよりもワクワクして眠れなかった場所。 それが、おじいちゃん家だった。 目の前は海。 山に囲まれ、村の真ん中には川が流れる。 虫を採ったり、川で遊んだり、海で泳いだり、スイカを食べたり。 ド派手なことはなかったけど、そこで流れる時間が好きだった。 生まれた時から毎年欠かさず、 夏休み、ゴールデンウイーク、年末年始に訪れていた場所。 今でも、夏休みと年末年始には必ず行く。 私の人生が詰まった場所でもあるおじいちゃん家が、 私はたまらなく好きで、私
これまで5年間、100組の新郎新婦の方の節目を祝ってきた。 その意味を知ってたつもりだった。 でも最近、「祝う」ことのもっと深い意味を知った。 言葉にならない震えがあった。 誕生日とか 米寿とか 収穫祭とか 終戦記念日とか 何かの節目を記念する日。 「良かったね」と何かを祝う日がある理由。 人がそうやって記念日を作る理由。 それは、 失ってから大事だったと気づかないようにするため。 それが当たり前じゃないんだということを忘れないため。 伝えられなくなってからじゃ遅い。