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3年半の"育休"が与えてくれたもの

いよいよ復帰します。3年半ぶりに。
31歳ではじまり、今は34歳。

仕事をしていた頃の自分が随分前に感じる。
何が得意で、何が好きで、何に必死だったのか。
鮮明に思い出すことが難しいほど、3年半という時間は長い。

でも時間だけがそうさせたのではなく、子育てに没頭していた。仕事をしていた頃とは全く違う日々を過ごしていた。

なぜ、今復帰することを選んだのか。
この、3年半の育休が与えてくれたものはなんだったのか。

言葉にして残しておかないと、この全てが新しい日々の中で、埋もれていってしまいそうで…

この先また書ける機会あるよねと思ってたけど、この先何十年の原点になる期間だから、今、残しておかねば。

このnoteは、いつか、大きくなった子供たちに。
そして、いつか、よくわからない悩みに埋もれそうになる自分自身に。

この素晴らしい日々の存在と、それを通して知った大切なことを伝えるために書きたいと思います。

これを読む時のBGMは、清塚さんのFor Tomorrowを。笑




「育休」

何からどう書いていいのかわからないぐらい、
たくさんの言葉、たくさんの表情、たくさんのシーンが浮かぶ。

毎月りんといっせいそれぞれのベストショットを選ぶ。成長記録。


本当に幸せだった。
本当に楽しかった。

こんな愛おしい日々が人生に存在するなんて、
りん(長女)を産む前の私は知らなかった。

自分の価値に悩み、少し先の未来に悩み、
過去の自分や周りとの比較に悩み、
悩むことで見つけた成長のタネを掴もうと必死で、
なんだか生き急いでいたような、焦っていたような。

自分でやらなきゃ、成長しなきゃ、挑戦しなきゃ。
なんだかそれが口癖のようで、自分の殻の中にこもって、ど真面目に、何かを追い求めて生きていた。

りん(長女)を妊娠し、出産し、過ごす日々の中で、
いっせい(長男)を妊娠し、出産し、過ごす日々の中で、

余計なものが剥がれ落ち、本当に必要なものだけが残り、人生で一番、穏やかで幸せで、今をめいっぱい味わうことのできた時間だった。

りん1歳半。いっせいはお腹の中。

子供を育てていた期間というよりも、
子供たちと過ごす日々の中で、自分が成長させてもらえた期間だった。

お互いに命全部をかけて過ごした日々の中で、
たくさんの愛情を交換したし、自分の器を試される機会に何度も(いつも突然w)出会った。

この育休の日々を通して知ったこと、自分に起こった変化。振り返ればそれは、自分の人生を幸せにすることそのものだった。

"育休"が与えてくれたもの

・「みんなで」やる(孤独からの解放)
・自分の笑顔と元気を手放さない(限界突破からの解放)
・目の前に集中する(いらない悩みからの解放)


ひとつずつ、残していこうと思います。


「みんなで」やる(孤独からの解放)

人に頼ることが苦手だった私が、
遠慮なく、人を頼れるようになっていた。

その始まりは、りんの妊娠。あのひどいつわりの日々。

誰かに頼らないと何もできない。
ご飯も食べれないし、歯磨きもできない。
タイピングの音で気持ち悪くなり、
携帯もパソコンも30分以上見ていると限界がきた。

日常生活も仕事も手放していかないと、どうにもならない。頼るの悪いかなとか言ってられない状況。

仕事は仲間たちに託していき、
日常生活は一緒に暮らすことで家族に頼った。

大きなお腹で商店街を歩いていた時、
店のおばちゃんに言われたことが、胸に残る。
「子供は、家族と地域で育てるのよ」
「ひとりでやっちゃだめよ」

おばちゃんのアドバイスの通り、
産後も、たくさん頼った。

ワンオペになるとわかったら、子供たちを連れて実家に行った。
ホルモンバランスの影響でメンタルが落ちているときは、旦那に子供たちを託し、ひとりの時間をもらった。

みんな(旦那、家族、子供たち)で出産をし、みんなで子育てをした。私一人でやってのけたなんて1ミリも思わない。思えない。

一緒に愛情を注いでてくれた人、一緒に初めてに遭遇してくれた人、一緒に奮闘してくれた人、一緒に思い出を重ねてくれた人がいたから、私は、笑って、穏やかに、育休を過ごすことができた。

りん1歳半。いっせいはお腹の中。懐かしい前のおうちにて。

出産前、自分の中に飼っていた「孤独」がどんなものだったのか思い出すことができないほど、子供たちと家族と過ごす時間が、「孤独」を私の人生から追い出してくれた。

ひとりでやらなくていい。みんなでやればいい。

自分のできないこと、自分ひとりじゃできないことは、
それができる人がいるし、それを喜んで引き受けてくれる人がきっといる。

孤独はもう人生にいらない。そこから生まれる成長は、もう必要ない。


自分の笑顔と元気を手放さない(限界突破からの解放)

子供たちの笑顔という結果のためなら、
自分一人で頑張ることは全く重要ではなかった。

子供たちの笑顔に直結する自分の笑顔や元気を、
後回しにしてはいけないと知った。

ギリギリまで踏ん張って倒れたあとに自分にアクセスしても遅い。自分の笑顔と元気が途切れてしまう前に、チャージする。そのために、人に頼ること、休むことは、何も悪いことじゃない。

子供たちのためだと自分を犠牲にするみたいな考えも、本当にいらない思考で、自分も楽しくて笑顔で元気で幸せで、その上に、子供たちの笑顔と元気と幸せが成り立ってる。

りん1歳10ヶ月、いっせい生まれて100日

子供たちにとっては、
親の私たちが楽しそうかどうか、幸せそうかどうかがすごく重要で、子供たちの心の状態に直結するなぁと感じるシーンに何度も遭遇した。

子供たちは本当によく見ている。よく吸収している。

だから、子供たちの一番そばにいる親が、
どういう表情で、どういう心の状態でいるのかは、
子供たちの笑顔(結果)に直結する。

自分の笑顔と元気を手放さないことが、
イコール、子供達の笑顔と元気を手放さないことになる。


目の前に集中する(いらない悩みからの解放)

子供って本当にすごい。
今に全力。少し先の未来もない。今ここしかない。

お腹が空いたそのときに全身で泣いて空腹を訴え、
眠たくなったそのときに全身で泣いて眠気を訴える。

「今9時か。お昼ご飯までまだ時間あるな。昨日、10時頃にお腹空いちゃった反省もあるし、今日も途中でお腹空くかもしれないから今食べとくか」なんて、もちろん考えていなくて、今目の前の遊びに全神経を集中。
数時間後の空腹のことなんて考えてない。

凝縮した今に、命全部を使う。

散らばったおもちゃ。一生懸命遊んだ証。

大人の私たちは、過去の反省を生かしたり、未来への準備をするけれど、今日には今日の気分があり、今には今のやりたいことがあり、事前に気を揉んでいた悩みが無駄に終わることなんて当たり前。

今目の前が一番大事。
今目の前がすべて。

生まれながらにこの真実を知っている子供たちの生き様たるや…

だから、一緒にいる私も、命全部を今ここに使う。

別のこと考えながら遊ぶとか、何か見ながらお話しするとか、無理。笑

誰かのことで悩んでいる暇もない。
少し先の心配事をぶつけても、何も返ってこない。
(大きくなったら違いますが^^)

今、目の前で、目を輝かせて遊ぶ姿を、今、目の前で、一生懸命おしゃべりする姿を、目に焼き付ける。

今ここにしかないものに、命全部を傾ける。
そうやって今に集中して過ごすと、くたくたになるけど、心は晴れやか。



復帰前日の夜、写真を見返して、涙が出るほど、
本当に、濃密で、幸せな、3年半の育休だった。

なぜ、今復帰するのか。

どんどん成長する子供たち。
一方、成長の止まった私。

育児に100%集中することで得られる成長が、満期を迎えたような感覚。

ここから先は、私も外に出て、
人間としての器を大きくして、成長する機会が必要だと。

商業施設とかで子供にイライラをそのままぶつけているお母さんを見て、前の私は「どうしてそんなことができるんだろう…」と思ってた。

でも、復帰するかどうか考えていた頃の私は、そのお母さんと同じように、子供たちにイライラし、それを時にぶつけてしまうときがあった。

自分の時間を持ち、その中で成長する機会をもらう。

例え会える時間が短くなったとしても、
今はその方が、子供たちの気持ちを受け止め、待ち、
心からの笑顔で接することができる気がした。


今年で35歳。
もらってきた愛情を、私が込めていける愛情を、家族に対してだけではなく、この世界に解き放っていきたい。

子供たちと過ごす時間を失ってまで選んだ選択なのだから、私の人生をかけたいと思える挑戦をしたい。
子供たちと過ごした時間丸ごと込めていける挑戦をしたい。

出産、子育てを経て、自分の可能性が広がった感覚。

ママも、一生懸命新しいことに挑戦して、成長して、子供たちと、笑顔いっぱい会えるように、がんばるね。

3年半に、お疲れ様とありがとうを贈って、結びます。

変わらず、だいすきだよー、子供たち。
いつもありがとう、ゆうすけくん(旦那)。

りん3歳の誕生日


photo by ayato
(りん3歳の誕生日写真は別です)

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