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その29〜ChatGPTは、先生になれるのか?〜
※忙しい人向け、この記事の要約です。
この記事では、生成AIが教育に与える悪影響として、共感性の欠如、知識の内在化不足、マルチタスクのリスクが指摘されています。
AIは教師のように共感を築けず、学習者に対して適切なサポートが不足し、学習効果が低下します。
家庭においては、子どもが生成AIを使用する際、その限界と正しい使い方を理解させることが重要です。
親が生成AIの利点とリスクを見極め、子どもに効果的な学習法を導くことが求められます。
僕が学生くらいの頃(10年以上前ですが…)、「グーグル先生」という言葉が存在しました。
とりあえずわからんことはGoogleで検索してみる、という行動はずいぶん前から定着していたのですが、
ここ最近はだいたい、ChatGPTをはじめとする「生成AI」に聞くことが増えました。
検索からあふれ出る大量の情報の中から吟味する手間は省け、
会話のように質問すると、それっぽい答えがしっかり返ってくる
これが生成AIができることです。
「AI先生」と言える時代も来るのではないか?
そんなことを考える人も少なくないですよね。
しかし、そんな流れに「待った!」をかけるような論文を見つけましたのでご紹介します。
タイトルは、
「「生成AI先生」が人間の学習に悪影響といえる3つの理由
本当に教育の救世主なのか」
です。
早速見てみましょう。
論文の要約
この記事では、生成AIが学習に悪影響を与える3つの理由を述べています。
共感性の欠如:
AIは教師との共感的な関係を築くことができず、これが学習効果を大きく阻害します。
知識の内在化不足:
AIは事実の暗記を避けさせますが、内在化された知識が創造的・批判的思考の基盤です。
マルチタスクのリスク:
AI利用時に生じるマルチタスクは、学習の集中や効果を阻害します。
この記事では、生成AIの悪影響に対する解決策についても触れています。特に有効なのは、認知的オフローディング呼ばれる、熟練した学習者や専門家が、単純作業や時間のかかる作業をAIに任せ、重要な知識やスキルを持ち続けながら成果を吟味することです
しかし、デジタル依存により関連スキルが衰えるリスクもあるため、専門的な知識とスキルを維持するためのバランスが重要です。
著者は神経学者でもあり、脳機能の観点から「生成AIによる学習の問題点」を取り上げています。
・教える側と教えられる側の共感
・基礎的な知識の定着
・デジタルデバイスを活用することによって起こる、マルチタスクの回避
これが「学習」において重要であり、生成AIが先生の役割を行うと、これらが妨げられる、ということです。
個人的に新鮮な発見と感じたのは、
ベースとなる知識がなければ、十分な創造的な思考ができない、ということです。
詰め込み型の学習は批判されがちですが、それだけ必要な知識をつけることは、必要だから行われているんですよね。
AIも便利なものではありますが、学習においては万能ではない(というよりも人間がAIで学習することにまだ最適化されていない)ということが言えるのではないかと思います。
家庭に置き換えて考えると…
我々子育て世代が考えるべきこととしては、
どういった場面でAIを効率よく使うのか?
ということに尽きるのだと思います。
そしてそれを子供たちに伝えていく。
思いもよらぬ使い方を子供たちはする可能性があります(そこから新しい着想が生まれるかもしれません)。
それが危険な状況につながる恐れもあります。
なぜそれが危険な使い方になるのか?
そういった想像を膨らませ、前もってアドバイスできるのは、背景となる知識を持っているから、です。
どのような場面で「生成AI」が効果を発揮し、自分たちにとって悪影響が出ないかを理解したうえで、
正しい使い方を示していく必要があります。
そして、
・生成AIから出力される情報が正しいかを吟味すること
・どういった場面で生成AIが役に立つかを想像すること
そういったことは、前提となる知識や様々な苦労の体験をしてきたから、わかるのだということも併せて教え伝えていくべきかと思います。
親として教育の領域で生成AIと向き合う上では、こういった回答を用意しておくのは、
「何で勉強しなきゃいけないの?」と聞かれた時のことを考えると、とても重要であろうと思います。
まとめ
本日は、どちらかというとビジネススキルというよりも、「家庭における生成AIとの向き合い方」がテーマの記事となりました。
大人になってから新しい技術に接するのと、子どもの時から接するのとでは、向き合い方が大きく変わってきます。
大人として、その部分はよく吟味し、子供たちからの声も聴きながら、うまく生活に活かしていけると良いのではないかと思いました。
本日はこのへんで。
それではまた次回。