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日本においては祭は政(まつり)

気性の荒い神として知られるスサノオノミコトは母神であるイザナミノミコトに会いに根の国(死者の国)に行きたい!と駄々をこね、父神であるイザナギノミコトの怒りを買い勘当されてしまう。スサノオはその前に別れの挨拶にと姉神であるアマテラスオオミカミを訪ね高天原へ行くが、アマテラスはスサノオが高天原を奪いに来たのではと警戒し武装してスサノオを迎え出た。スサノオはその誤解を解くと調子にのって暴れ、アマテラスの神殿にうんこをまき散らし、すっかり嫌になってしまったアマテラスは天岩屋戸(あめのいわやと)という洞窟に引きこもってしまい、太陽神が隠れてしまったことで世界は闇に閉ざされてしまう。

世界に光を取り戻すために八百万の神々は天岩屋戸の前で宴の祭を始める。どんちゃん騒ぎが始まり、その中で女神アメノウズメノミコトはひっくり返した桶の上に乗り舞を披露し始める。ますます祭が盛り上がってくると、えーい脱いじゃえ!って事で服がはだけて乳房を出し、腰の紐もほどけて陰部も露わにして尚舞い踊った。八百万の神々は大いに盛り上がり、アマテラスは「何か外が楽しそうね」と、こっそり天岩屋戸の外を覗こうとする。そこをすかさず怪力のアメノタヂカラオノミコトが洞窟を塞いでいた岩をどけてアマテラスを外に引っ張り出し、世界に再び光が戻ることになる。尚、その際アマテラスが再び天岩屋戸の中に戻れないように張った結界の縄がしめ縄の起源とされている。


以上は古事記の内容の一部でもあるが、この事によりアメノウズメノミコト芸能の神として各地で祀られることになる。「芸能」というといかにも世俗的大衆的で、社会や政治に無関心な人が嵌っているような意味合いで語られる事もあり、「パンとサーカス」みたく政治問題の目眩ましに芸能があるかのような意見も少なくない。

確かに一面としてそれは否定できずそれはローマ帝国が滅んだ理由でもあるが、じゃあ芸能そのものは取るに足らない単に政治に従属する存在なのかと言えばそんな筈はなく、アメノウズメの話はそれを何より物語っている。芸によって世界が光を取り戻し、それが日本のルーツであることをアメノウズメは確かに教えてくれている。

日本においては祭は政(まつり)で政祭一致でもあり、神事の中に芸能のルーツもある。そして欧米キリスト教文化とは異なり性についても開放的で、歌舞伎のルーツとされる出雲阿国もストリップ的な舞を踊っていたことから、芸と性は日本において常に密接不可分だったことも見えてくる。

コロナの時に「文化は不要不急」とされ、映画館、劇場、ライブハウスなどは真っ先に切り捨てられたのは、芸能や娯楽が低俗なもの、文化・芸事が道楽・お遊びみたいに軽視されてきたのが一因でもある。でもそれは世界に光を取り戻した日本創生のルーツを日本人自身が消し去ろうという自殺行為にほかならない。ポリコレ全盛の今、日本に再び光を齎すのは日本のルーツでもある非ポリコレ的な文化・芸能であると信じて止まない。

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