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アトムの未来に辿り着いた日本人
先日谷川俊太郎さんが亡くなったが、昔教科書にも載ってた「朝のリレー」は未だ小中学校の教科書に使われている。普遍性のあるものはいつまでも古くならない。「地球が回っている」を理論で説明するより「いつもどこかで朝がはじまっている」と言われた方がリアリティがあるし、「そうしていわば交替で地球を守る」のくだりは多くの少年少女に「地球」を意識させたに違いない。
ただ実際の人間は「交替で地球を破壊」しているのが現実なのかもしれない。谷川俊太郎さんは鉄腕アトムの作詞も手掛けていたが、その時代は終戦からも間もない頃で「未来は明るくなっていくはず」という願望にも近い「希望」があった。アトムの原動力である原子力もその頃はまだ「未来のエネルギー」みたいに信じられていた。もちろんそこからその「希望」は結実し、戦後復興→高度成長→人口激増、という流れになっていくのだが、この時代と同じことは多分もう起こらない。
この時代は敗戦で全てを失った所からのスタートだったから、いわばその反動で経済も人口も急速に伸びた「復興経済」だっただけであり、高度成長期を過剰に美化して「あの頃の経済成長を再びやれば日本人は幸福になって人口増だ」みたいなのは短絡だし所詮夢想に終わる。例えば90年代後半からパソコンは爆発的に普及したがそこまでの経済成長を齎す産業になってない。スマホだって今や一人一台以上だが、何でもスマホに集約させすぎて逆に文化的産業の芽を摘んでしまっている。
じゃあ敗戦に匹敵する「破滅」がもう一度くれば日本は再生して人口増になるのかと言えば恐らくそうはならない。高度成長の頃は原子力や科学が未来を拓くと純粋に信じられていたから、アトムもドラえもんも成立し得たし、万博にも人が集まった。「未来は明るい」というイメージで描かれることが多かった。ところが今の日本人はその「未来」にもう辿り着いてしまい、それが「思い描いていた未来」ではない事をもう知ってしまった。「希望」だったはずの未来は、AIに脳を支配され、移民問題や核戦争の恐怖に怯えなければならない「ディストピア」だった。
昔は「未来が希望」の前提だったから、例えば親が子供に「勉強しろ」みたいに言うこともある意味容易かったわけだが、今ではもうその前提が崩壊している。親世代は子世代に「希望」を託していかねばならないが、未来なきこの時代においてはそこん所が正直とてつもなく難しい。全く新しい「未来」のビジョンを一から創り出さないといけない。
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