「警察」か「マスク警察」か。
カレー味の💩と💩味のカレーのどちらを選らぶかは有史以来人類の課題でもあるが、「5類移行」して1
年経った今、マスク警察かモノホンの警察どちらを選らぶかを決めなければ日本人にとってのコロナ総括はできないだろう。マスク警察とは何だったのかと言えば、日本においてはマスクは法規制でなかったため、その法の穴を埋めるべく出現した「自警団」だった。
モノホンの警察はあくまで法の番人なので至近距離で素顔でいても「マスクしてください」などということはない。モノホンはあくまで明文化された法が規範なのに対し、マスク警察は何が規範だったかと言えばそれは世間の空気という不文律、不文の法だったと言える。よくマスク警察は「ルールを守れ」的な物言いをしてきたが、日本においてはマスクについて明文化されたルール(法)などどこにもなく、彼らの「ルール」というのはこの世間の不文律のことを指していたことになる。
そこで法治主義が解っている人なら「法でもないのにオカシイじゃないか」とすぐ思うとこなのだが大多数の日本人は「法ではないけどみんなやってるし世間の空気ガー」と、法<空気 になってしまった。要するに「自分たちは法でなく空気で動いてる、法治国家ではない」と認めてしまったことになる。マスクをしたくない人にとってそうした空気の支配・同調圧力というのはほんとに嫌なものでしかなかったわけだが、逆に言えば法に反することはいっさいなく空気に逆らう「個」がありさえすればよかったわけで、法に反するという意味ではマスク警察の方にこそ違法性がある。要するにこの3~4年は法がぜんぜん役に立たない「無法地帯」みたいな状態だったわけだが、「マスク警察なんぼのもんじゃい!」的な胆力があれば、それとてまあどうということはなかった。
ただそこで考えるのは日本が純然たる法治国家でマスクが法規制だった場合、戦う相手は他国同様、マスク警察でなくモノホンの警察だったということである。身柄拘束され逮捕投獄されながらも戦うのは実質無理なのでどんなに圧力に屈しない「個人」でも従わざるを得なくなるだろうが、これも他国同様、法が解除されれば全くの自由になるわけで「個人の判断で~」とかよくわからん曖昧なまだるっこしい基準はない。
日本人はこれからもマスク警察に追われるような「ムラ社会的世間体空気の支配国家」のままを望むのか。それともモノホンの警察に追われる法治国家の方を望むだろうか。法治国家は嫌だと言うなら、自分にとって不都合な「悪法」には従わず、ご都合主義的な世間の不文律の中で生きていくしかない。世間の不文律に縛られるのと明文化された法に縛られるのと、この先日本人はどっちを選ぶだろう。