「クリスチャン・ブッディスト」について
以前から欧米で「クリスチャン・ブッディスト」と呼ばれる人たちが増えてきているという。
日本でも一部の新興宗教が仏教とキリスト教を混淆した教義を唱えていることは知っており、好ましく思っていなかったが、つい最近自分が20年以上続けてきた仏教徒としての自分にクリスチャンとしての自分を上書きしたことから感じられることは、仏教的なものの見方や感じ方は当分抜け切らないだろうし、抜け切らなくてもいいのではないか? ということであった。そこで社会現象としての「クリスチャン・ブッディズム」に注目するに至ったのである。
とりあえず佐藤研著『禅キリスト教の誕生』という著作への書評を見つけた。
https://www.jstage.jst.go.jp/.../47/0/47_0_226/_pdf/-char/ja
この書評では、仏教とキリスト教の安易な混淆が必ずしも肯定的にのみ捉えられていない。クリスチャン・ブッディズムにおける、キリスト教の三位一体説の否定や、仏教の「空」を、縁起説を踏まえずに「空=空っぽ=神」のように理解することは私としても受け入れ難い。
思えば、慶應の通信教育を受けていた頃は宗教学の授業で「宗教多元主義」を教わった。
早稲田の宗教学の先生は禅の研究とキリスト教自己相対化の研究がご専門であった。
このように「万教同根」「クリスチャン・ブッディスト」的な宗教観は、日本の宗教風土に馴染みやすく、大学でも学問の装いを凝らして受け入れられていることも確かである。
私が心配するのは、三位一体説や「空」への理解が極めて皮相なものに終わってしまうのではないかということ。クリスチャン・ブッディスト的な状況にすでに巻き込まれている己が実存を凝視し、安易な混淆主義に陥らずに生きていけるかどうかがこれからの課題のひとつである。