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「気質のことなんか知らなくても大丈夫」(大切なのは知識でも方法でもないのです)
「気質」についてあれこれ書いてきましたが、〝じゃあ、気質について知らなければちゃんとした子育ても教育も出来ないのか〟というとそんなことはありません。
私はシュタイナー教育が大好きですが、だからといって〝シュタイナー教育を与えなければ子どもはちゃんと育たない〟ということではありません。
実際、皆さんが知っている過去現在の「素晴らしいことをした人」、また、お知り合いの「人間として素敵な人」の大部分はシュタイナー教育など受けていないと思います。また、そのような「素敵な人」を育てたお母さんのほとんどが、シュタイナーのことも、気質のことも知らなかったはずです。
当然のことながらR.シュタイナーはシュタイナー教育を受けていないし、M.モンテッソーリはモンテッソーリ教育を受けていません。
釈迦もキリストも同じです。
でも、素敵なことや素晴らしいことを成し遂げた人の伝記などを読むと、そこにはちゃんとシュタイナー教育的要素やモンテッソーリ教育的要素が含まれているのです。
実は、シュタイナー教育のことなど知らなくてもシュタイナー教育的な子育ては出来るのです。気質のことなど知らなくても「気質に合わせた子育て」は出来るのです。
逆に、シュタイナー教育を学ぶことで、その知識や方法に束縛され、子どもを無理に「シュタイナー教育」という型にはめ込もうとして、子どもの育ちを阻害してしまっている人がいます。
そのような人は、子どもの状態に合わせてシュタイナー教育を工夫するのではなく、シュタイナー教育に合わせて子どもの状態を変えようとしています。
「シュタイナー教育が目的としていること」を大切にするのではなく、「シュタイナー教育そのもの」を目的にしてしまっているのです。
シュタイナーが説いた知識や方法は、「子どもを育て、教育する時に一番大切にするべきことは何なのか」ということです。それは「旅をする時に必要になる手引書」のようなものです。
その旅とは「子どもの幸せと魂の育ちを支えるための旅」です。
(モンテッソーリ教育ではその旅の目的がシュタイナー教育とはちょっと違うようです。)
でも、中には、手引き書を道具として使うのではなく、それを教科書として覚え、解釈することばかりに夢中になってしまっている人が多いみたいなんです。
そのような人は、手引書の勉強ばかりして、肝心の「目の前の子ども」を見ようとしていません。見てはいても「手引書からのずれ」ばかり見ています。
でも人は一人一人異なった環境の中で、異なった運命の中で、異なった生き方をしながら、異なった子どもを育てているのです。気質も一人一人違います。
ご自身がドイツで子育てをしているのなら、ドイツで生まれたシュタイナー教育をそのままの形で実践することも出来るかも知れません。ドイツ語がペラペラならシュタイナーの言葉も理解出来るかも知れません。羊毛も身近にあるでしょう。
でも、日本語しか知らない人がドイツ人であるシュタイナーの論理や考え方を理解するのは困難なんです。思考を司っているいるのはその人が使っている言葉だからです。
厳密な論理を大切にするドイツ語を、主語も時制も論理も曖昧なままで使うことが当たり前の日本語しか使えない人が理解出来ると考える方が無理があるのです。
じゃあ、「日本人にはシュタイナー教育は出来ないのか」というとそんなことはありません。
シュタイナー教育の専門家はどう思っているのか知りませんが、単なる「シュタイナー教育ファン」の私は、「シュタイナー教育の方法」や「シュタイナーの言葉」に依存するのではなく、「シュタイナー教育が目的としているところ」を日本人の感性で目指せば、結果として「シュタイナー教育」になるのではないかと思っています。
それは「子どもの幸せと魂の育ちを支えるために」という目的です。
宮沢賢治はシュタイナー教育を受けたわけではありませんが、シュタイナー教育との相性はいいです。八木重吉という詩人が日本語で書いた詩も、シュタイナー教育との相性がいいです。
二人とも「魂の育ち」ということを大切にしていました。
「子どもの幸せと魂の育ちを支えるために」という目的を共有すれば、世界のどこで子育てしていても、シュタイナー教育のことなんか知らなくても、現地の言葉で、現地の方法でシュタイナー教育的子育てをすることが出来るのです。
目的が同じなら方法も似てくるでしょう。方法が目的を決めるのではなく、目的が方法を決めるのですから。
「気質」に関しても同じです。「気質」のことなど知らなくても、子どもの「その子らしさ」を大切にし、子どもの意志を尊重して見守り励まし、子どもの心に寄り添い、子どもが持っている特性を「短所」にするのではなく「長所」にするような関わり方をしていれば、結果として気質の考え方に沿った子育てが出来てしまうのです。