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第十回 まとめ             網膜のデザインと観念のデザインの両立

 これまで見てきたように、デザインやデザイナーとブランドやイノベーションは切っても切れない関係にある。デザインを無視して、ブランドを構築することはほとんど不可能であり、デザインはブランドそのものであるといえる。また、デザイナーは古くから様々な形でイノベーションの実現にも携わってきた。
 ただ、近年では、デザイン思考をはじめとするデザイナーのイノベーション寄りのスキルに関心が集中したことで、審美性や美的センスなどの古くからあるスキルの地位が相対的に低下している(Tonkinwise, 2011)。このような傾向は様々なところで見られ、例えば、日本を代表するデザイン賞であるグッドデザイン賞でも、近年では、作品の評価軸が審美性からコンセプトへと変化してきている(田中,2020)。つまり、造形の美しさや職人的な技術力よりも、イノベーションにつながるようなユニークな発想や革新的な発想に重きが置かれるようになっているのである()。

注) その点、ドイツのiFデザイン・アワードなどは依然として審美性にこだわっており、コンセプト重視へと舵を切った日本のグッドデザイン賞とは対照的である。

 しかし、皆がイノベーション寄りのスキルに移行したら、美は誰が担当するのであろうか。今後、ますますソフトウェアやAIが発達し、美は誰もが担当できるほどコモディティ化する(要は、機械任せにできる)というのであれば、そのような地位の低下はあまり問題でないかもしれない。しかし、そうでない場合は、美の弱体化を招き、ひいてはブランドの構築に大きなダメージを与えることになる。本連載の第二回でも述べたように、イメージであるブランドは視覚情報に強く依存しており、美しさやセンスは、その視覚情報の質に大きな影響を与えるからである。

 以上のように、一口にデザイナーが持つスキルといっても、ブランドとイノベーションでは重宝される部分が異なる。視覚情報と深く関わるブランドには、審美性や美的センスなどのスキルが重要になる。一方、イノベーションには、観察力や直観、可視化による知識の統合や問題解決力などが重要になる。

 現代美術の草分けであるマルセル・デュシャン氏はアートを、視覚表現としての「網膜のアート」と、思考実験としての「観念のアート」とに大別したが(Cabanne,1967)、これまでの議論を踏まえると、デザインもそれに倣う形で、ブランドの構築に深く関わる「網膜のデザイン」と、イノベーションの実現に深く関わる「観念のデザイン」とに大別することができそうである。ただし、デザイン経営では、そのいずれかではなく、両方を活用することが求められる。

参考文献
Cabanne,P. (1967) Entretiens avec Marcel Duchamp, Somogy. (岩佐鉄男・
 小林康夫訳『デュシャンは語る』ちくま学芸文庫,1999)
森永泰史(2016)『経営学者が書いたデザインマネジメントの教科書』同文舘
 出版。
森永泰史(2021)『デザイン、アート、イノベーション』同文舘出版。
田中一雄(2020)『デザインの本質』ライフデザインブックス。
Tonkinwise, C. (2011) “A Taste for Practices: Unrepressing Style in 
 Design Thinking,” Design Studies, Vol.32, No.6, pp.533-45.


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