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『クララとお日さま』ロボットの視点で描かれるテクノロジーと消費社会の警鐘

今回はカズオ・イシグロさんの『クララとお日さま』をご紹介します。

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読んでみると、とても優しい童話のような長編小説でした。
雨の週末に6時間かけて読了しました。

最初はなかなか世界観に浸るのが、難しくて。

ロボットのお店で、お客様に選ばれるまでのシーンはすこし長く感じました。

クララが病弱な少女のジョジーのAF(人工親友)として選ばれて自宅に一緒に住むようになってから、やっと、登場人物たちのそれぞれの苦悩や葛藤が見え始めて。

突如として物語がグーっと動き出していきます。
そこからは一気読みでした。

病弱なジョジーのは母親は、ジョジーの姉であるサリーも病気で失った過去を持っています。

そのため、ジョジーまでも失うのではないかと緊張した日々を過ごしながら恐れています。

母親は極端な計画を秘密裏に進行させていたのです。
それは狂気すら覚えるほどでした。

娘を愛するあまりに、クララに病弱なジョジーの面影を重ねようとしていくのですが、複雑な心境で揺れ動いています。

隣人のリックはジョジーが心許せる同世代の男の子です。

母親はリックの行く末を心配するあまり、ときどき暴走してしまう一面のあるキャラなんですが、どことなく憎めなくて愛すべき人物に感じました。

リックは母親と2人暮らしなので、心が危うい母親を支えようとするあまり、知らぬうちに共依存の関係に見えることもあります。

さらにリックとジョジーの繊細な進展も見られます。

リックは鳥のドローン編隊を独自に開発する天才という一面も見られるなど、びっくりする伏線もありました。

人工知能を搭載したロボットであるクララの視点から描かれた、近未来の人間の世界はとても優しく温かいのです。

AFたちにとって太陽の光は、命の源となります。
栄養、つまり恵みの象徴です。

さらに、お日さまは人工知能のロボットたちには神のような存在のようにも、象徴的に描かれます。
クララはお日さまに、愛と尊敬の念を抱いています。

太陽は希望そのものなのです。

空気汚染する機械を命懸けで壊すことで、お日さまに祈るような気持ちで、ジョジーを助けようと本気で試みたりもします。

とにかくクララが健気で。
いじらしすぎて、切なくて。

人間に対しては、主(あるじ)以外のどんな人に対しても礼儀と感謝の気持ちを忘れません。

常に場の空気を読み、人間の邪魔にならないようにそっと見守るポジションに甘んじています。

「もっとクララを大切にしてあげてよ、人間たち!」

とキリキリしてしまう反面。
人間がロボットを信用しきれないことや、遠ざけたい気持ちもなんとなくわかるんですよね。

あとは、人間にとって都合が良くて役に立つもの、という消耗品のような扱いにも、つくづく考えさせられました。

ロボットもガジェットの延長線上みたいなもので、新機種が出たらそちらがスペック的には魅力的に映ります。
そうして、要らなくなったり飽きがくればさっさと廃棄する。

消費社会への警鐘というか皮肉を感じ取りました。
だからこそただの童話ではない、リアリティを感じたんですよね。

この物語も近い将来ファンタジーではなくなるんでしょうね。

現実にロボットが人間社会に寄り添う世界は起こりうるかもしれない。
いや、きっとそうなるのでしょう。

最後は本当に切なくて。
人間はどこまでも身勝手で。

社会問題や環境問題、テクノロジー、それに付随する倫理観をどう捉えていくかということまで、深読みできる部分が多いです。

いろいろな切り口から編まれるストーリーは、とても新鮮でした。
クララというロボットの目を借りて、人間社会を見る体験はとても新しかったです。

小さな奇跡の出会い。
ひっそりと息絶えそうな人と犬。
孤独にひとり寂しく佇む人。

そんな見過ごされてしまいそうな風景のひとつひとつが映像のように切り取られ、クララの記憶に積み重なっていきます。

人間の様々な苦悩を見つめるクララの眼差しは、最後まで優しい。
希望を捨てないクララこそ、誰かにとってはお日さまだったのでしょう。

”「ジョジーがほんとうにさびしくなくなるのなら、わたしは喜んでいなくなります」

「わたがしがさびしいなんて誰が言ったのよ。違うわよ」

「たぶん、人は誰でもさびしがり屋なんです。少なくとも潜在的には」(P370)”




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森本木林(きりん)@読書研究家
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