もう平気かなと思って、母親の死について軽く放してみたけど、気分がどんよりするので一年やそこらではもうにもならないらしい。
会社の飲み会、嫌い過ぎる……。
殺したいほど、愛してる。 よりも 殺されたいほど、愛したい。
メンタルが死んでいると、ひたすら考えなくてもいい活動に没頭してなにも書けなくなるの巻。 感情を消化するのに時間がかかるわー今回。
「作り手の顔がわかる商品を使いたい」 気が付いたら、そんなことを言うようになっていた。価格重視で、とにかく安いモノを買っていた頃からしたらあり得ない考え方だなぁ、と思う。昔の自分が見たら、無駄遣いだと怒るかもしれない。 これといったきっかけがあるわけではないのだけど、縁が合って作り手の方と話をしたりすると、応援したい気持ちがむくむくと湧いてくるもので。特に、食卓を彩るものは作り手の顔がわかるモノが増えてきた。 箸は漆塗り作家の中野さんのものだし、お酢は戸塚醸造店、みりん
こちらはリンクで遊ぶweb文芸誌 「トンネルマガジン」参加作品です。 はじめから遊びたい方は こちらをクリック ◇◇◇ 「カモから始めるお金の専門家」森田龍 プロだって、最初は素人。ただ、素人以下からスタートする人もいる。 今でこそ、ファイナンシャルプランナー(以下、FP)だなんて名乗って、お金の専門家をやっておりますが、私、詐欺に遭いました。だからFPになったんです。 社会人になって半年、仕事にも慣れてきた頃。給与明細と預金通帳を眺めながら「このままだと残高を増や
何を思ったか、名古屋から広島の呉にある榎酒造の蔵開きに行って来ました!アホだ。 とにかく遠い。ほとんど始発の新幹線に乗ったのに、着いたのは11時前。5時間ちょい。バスの本数少ない……。 普通に考えて、そんだけの労力を掛けて行く価値があるのかという話ですが、個人的にはとても良かったと思っております。 とにかく、試飲できる物が多い。曰く「ここで買えるものはすべて試飲し放題」とのこと。価格関係なし。つまみも売ってるから、無限にいることも可能である。(バスの制約があるから、めち
支えは欲しいけど、すがるものはいらない。
「体は半年前に食べたものでできている」 なんて話を聞いたのはいつだったか。どういう理屈なのかも半年前に何を食べたのかも覚えていないけど、このフレーズだけは覚えている。 命を食べて、血肉にする。とても当たり前のこと。 でも、これだけでは半分だ。肉体だけ。それだと、肉の詰まった皮袋でしかない。そこに、心が入るから、人間だ。 じゃあ、心はなにでできている? 心の食べもの。それはきっと、言葉だ。 子供の頃は、なんにでもなれると思っていた。サッカー選手にも小説家にもガンダム
小野美由紀さんのオンラインサロンで、「私のかたち」というお題を頂いて書いたものです。(フィードバックを貰う前) ********************************** 「体は半年前に食べたものでできている」 なんて話を聞いたのはいつだったか。どういう理屈なのかも半年前に何を食べたのかも覚えていないけど、このフレーズだけは覚えている。 命を食べて、血肉にする。ひどく当たり前のこと。 でも、これだけでは半分だ。肉体だけ。それだと、肉の詰まった皮袋でしかない
2017年の振り返りを。 ・投資 珍しく、NASA枠をほぼ全部使うことに成功。単元未満も含めて、欲しい株はあらかた買えたかと。ユーザベースを分割前に(単元未満だけど)買えたのは良かったかな。 相場が良かったこともあって、投資信託も含め、トータルプラスで終了。サイバーダインがぐいっと上がってくれたのがありがたかったかな。我慢はするものです。 来年は積み立てはコツコツと。株は時勢に合わせてという感じで。 ・書き物 ちょこちょこと書かせていただきました。(投資のこととかを) 今
さらさらと、手のひらからこぼれていく。言葉にする端から、捉えきれない細かな想いが。 砂みたいだな、と思う。浜辺で掬った砂が、こぼれ落ちていくように。小さな想いが気づかないところに残っていて、じゃりじゃりするのも、靴の中で取りきれなかった砂粒みたいだ。 形に残しておきたい、と思って作った砂のお城も何時かは崩れる。人の気持ちも何時かは変わる。あの日書いたあの言葉も、見返すと共感できなかったり。 こぼれてしまった想いは、もうどこに行ったのかもわからない。それは、どうでも良い
とても、怒っている人がいた。 とある講座で、何らかの手違いがあったのか、参加できなかったらしい。 「運営はどうなっているのか」 「振り込んだお金は返金されるのか」 そんなことを捲し立てていた。 ※※※ 呼ばれていない場所には、きっと行くことができないんだろうな、と思う。 SUSONOのローンチイベントの動画が公開されて、友人にその動画を見せたあと 「これ、共感する人たくさんいるからもっと色んな人に見せた方がいい!」 と言われたとき、思い出したのはあの怒って
穏やかで平穏に、暖かく暮らしたいと思う反面、粉々にされて、もがきながら自分を組み立て直したいとも思う。 幸せってなんだろうか。結婚して豊かな家庭を持つ、みたいなステレオタイプの幸福論が通用する時代はとっくの昔に終わってしまって。「私の」幸せを探さないといけなくなった。 才能があることは、幸せとは限らないと誰が言っていた。才能に人生を食い潰されると。ゴッホだの太宰だの、後世に名が残るような連中をみていると、とてもじゃないが幸福に生きていたとは思えない。幸せなやつは、耳を切り
ラジオから聞こえるパーソナリティの声は、いつだって軽やかで自信に満ちている。テンポよく軽快なトークと心地いい音楽と。テレビに比べるとずぅと少ない情報量なのに、引き込んでくれる。声にはきっと、力がある。 誰でも、自分の声を録音してげんなりしたことがあるんじゃないかと思う。普段耳にする声と、目の前のラジカセから流れる音。 「こんなのっぺりした声なの!?」 快活に喋っているつもりはないのだけれど、自分のイメージを越えた微妙な声。コンプレックスというほどではないけれど、好きには
自分にとって当たり前のようにできることに、「上手じゃん」とか「いいね」とか、そんな言葉をもらえるものを、「才能」だとか「強み」だとか言うのかもしれない。でも、それを素直に受け止めるはすごく勇気がいる。特に、大人になってからは。 色んな世界が見えすぎる現代は、眩しすぎる才能が溢れてて。自分のちっぽけな「才能らしき何か」は、煤けて見える。 磨けば光る? 本当に? 昔から、言葉を紡ぐことは好きだった。小説家になりたいだなんて、そんなことを思ったりするくらいには。 自分の書い