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あの子の日記 「レーズンの行方」
わたしだけ春の一部になってしまったみたいに、何かのおわりとはじまりばかりを眺めている。それはおそらく一日のことで、ひと月のことで、一年のこと。止めようのないことだから、わたしはただ眺めることしかできないでいる。
朝。寝返りをうった先にテル彦さんがいなかった。となりの枕は正しい位置に戻っていて、カバーのしわはぴんと伸びている。もしかしたら最初から、昨晩から、テル彦さんはここにいなかったのかもしれない。カーテンを開けると白い家とうす茶色の家のすき間に太陽が見えた。まばらな髭がちくちくと当たるキスのあと「朝までこのままでいよう」と言って髪を撫でてくれたくせに、そんな朝は来なかった。
空の色が濃くなったころ、お米を炊いて、近所のスーパーへ惣菜を買いに出る。パジャマよりよそ行きな洋服で、髪の毛はうしろでひとつに結った。がらんとした夜道を抜けてたどり着いた銀紙ほど明るい店内は、なんだか夜にふさわしくない。余りものを安く袋づめにしてあるパン売り場の先には、豆腐ハンバーグと、目当てのからあげと、煌々とした光にふさわしくないテル彦さんがいた。
「あ。きのうは」
「ああ」
「目が覚めたらひとりでした」
「わりい」
「どうしてですか」
陽気な店内BGMが控えめに流れている。テル彦さんが持っているレーズン入りのまあるいパンは、袋のなかですこし潰れていた。
「本当に好きなやつと迎えたほうがいい。ああいう朝は」
呼吸のついでに声帯を震わせたような声だった。むず痒い沈黙のあと、テル彦さんはばつが悪そうにわたしの横をすり抜けていった。狙っていたラストひとつのからあげは、知らぬ間に、くたびれたサラリーマンのカゴに放り込まれている。からあげのないスーパーは、レーズンが入っていないレーズンパンのようなもので、テル彦さんがいないわたしの生活とよく似ていた。
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