見出し画像

怒りっぽい私が10年前の自分に始めて欲しい、たった1つのこと

 新卒で入ったベンチャーは、先輩が平気で午前2時まで働いているような会社だった。あの頃は、常に「で、君の目標は?」「どんなビジネスマンになりたいの?」と聞かれていた気がする。「前を向け、上を見ろ」と育てられた私は、ばか正直に実力以上のヒリヒリする目標を立てては、なんとか遂行しようと気張り散らす人間に叩き上げられた。

 レズビアンであるということを本格的に受け入れて、「この私で生きていこう」とようやく腑に落ちたのも、新卒の頃だったと思う。中学生の時にはじめて同級生の女の子と恋をして以来、「いつかは男性と付き合うのだろう」という思いが頭の片隅にありながらも、私は大いに女子校レズビアンライフを謳歌した。

 とは言っても、まわりにカミングアウトができていたわけではなかったので、小さなときめきや当時の恋人とのデートを、秘密の宝物のように心の奥にしまって過ごしていた。ウォーターボーイズにも、ルーキーズにも花男にも私のような学生は発見できなかったのもあって、恋人と居るとこんなに心があったかいのに、親にも兄弟にも友達にも伝えてはいけないことだと幼い私は思いこんで疑わなかった。(時代が変わった今もきっと、そう思って小さな胸を痛めている子どもたちがいると思うと、もっと社会は変わらなければならないと痛感する。)そんな中学時代から10年、あいも変わらずパートナーに選ぶのが女性だった私は、いい加減にレズビアンとして腹をくくることになったという次第である。

 大人になるとレズビアンやバイセクシュアルの女性が集まるコミュニティにもたどり着くことができた。そこで初めて私は自分以外に「レズビアンである」と自覚している大人たちに出会う。(あの頃テキーラを流し込み、バーで一緒に椎名林檎を歌ったみんなは一体今どうしているのでしょう。)冒頭に話した激務ベンチャーでシゴかれつつ、友人が集う新宿二丁目で飲み明かす典型的なクローゼットレズビアンとなった私に、それからまた10年ほど生きた私から一つだけ、一つでいいから、伝えたいことがある。

「ジャーナリングをしろ!」

 ジャーナリングとは一定の時間、自分の頭に浮かんだことをありのままノートに書き出すことを指す。考えながらではなく、瞬時に浮かんだことをそのままガリガリ書いていくことが大切で、さらに手書きだと良いとも言われているらしい。私の場合、同棲して7年になるパートナーやカウンセラーのすすめで30代になってからジャーナリングを始めた。最初は「そんなことをやって、なんの意味が?」と冷笑ちっくなダサい態度で向き合ってしまったが、意外と書き始めるとすらすらイケる。頭の中のモヤのような、でも向き合いたくないような、ダルくて鬱陶しくて、でも後回しにしている自分に罪悪感を感じるような何かが私にはあった。ジャーナリングは、それらを紐解き、言語化する作業だった。

 書いているうちに、筆は時を超える。中3の時に「は?森道って女が好きなん?」と詰め寄られて「そんなわけないでしょ、きもちわるい」と、自らのアイデンティティを強い言葉で否定してしまったこと。初めて母にLINEでカミングアウトしたとき(このカミングアウトもまた今のパートナーに散々世話を焼いてもらい、カミングアウトの文面まで考えてもらった始末だったのだが)、数日間LINEを既読スルーされてしまい、傷ついたこと。そして母との間には今でもうっすら溝を感じていて、寂しいということ。本当は母に誇りに思って欲しいということ。新卒当時、激務ベンチャーでカミングアウトしていたゲイの同僚の根も葉もない噂が回ってきて、次は自分の番ではないかと恐怖の滝汗をかいたこと。

 幸い直接的な差別を強く受けたことは少なく、どれも親しい人の前では笑い話にできるところまで消化できてきた。でも、たとえるなら脇腹の弱い場所にずっと鈍〜いパンチを食らっているような。そんな状態で、当時の私はしっかり傷ついていたくせに、前を向いてそれらを無視し続けていた。それだけならまだしも、「前を向け、上を見ろ」精神で、自分の傷つきを認めることや、悲しかった出来事を振り返ることそのものに、嫌悪感さえ抱いていた。私はこれから仕事で活躍するはずなのに、後ろ向きでどうする?もっと強く居るべきだ!と。履き違えた強さである。セルフコーチングワークはたくさんやったけれど、カウンセリングやジャーナリングで過去の自分にスポットを当ててやることはなかった。

 そのスポットライトを向けてもらえなかった感情は、ケアされることなく手付かずのしこりとなり、まるっと30代まで持ち越されてしまった。目標を立てて遂行しようとする姿勢は板についてきたけれど、自分のネガティブな「本音のケア」をするスキルは無いに等しい三十路女が出来上がったのである。

 思えば仲が良かった学友は、帰り道や宿題とは名ばかりの放課後のカフェで、親や彼氏への不満、言語化はうまくなくても、正直にネガティブな感情をよく言葉にしていた。そんな感情を「自分が確かに抱えているものである」と認め、受け入れ、共に生きるのが私よりも上手かった。その一方で、一見聞き分けが良く大人だと思われていた私は、決して聞き分けが良いのではなく、ただその感情ときちんと向き合う機会を逃していたに過ぎなかった。それもそのはず、自分の恋の悩みを話そうと思えば最初の2歩目くらいでセクシュアリティの話にぶつかってしまうし、セクシュアリティの悩みを話していいと思える相手もいなかったのだから。

 セクシュアルマイノリティであるかにかかわらず、こうした「本音のケア」の機会を何らかの理由ですっ飛ばし、30を越え、人生のパートナーなどの大切な人と向き合うという正念場で大きな壁にぶち当たるという話は、周りからも少なからず聞く。私の場合、生活の中で自分の思い通りにならないことが3つ以上重なると、どうしてもイラつきを抑えられなかった。そしてなぜイラついているのか、自分でもわからないときがあったのだ。

 一説によると「怒り」という感情は、二次感情だと言われている。詳細は専門家の書籍などを調べていただけると幸いだが、私の中での理解はこうだ。ある出来事があって、それに対して「心配」や「傷つき」、「不安」という一次感情をたしかに抱えているのに、その気持ちを自分で認めたり、ケアしたり、正しく周りに伝えることができないと、一次感情が溜まって、コップの水が溢れるように「怒り」という、本当の気持ちとはやや違うアウトプットとして放出してしまう。

 恋人になりふり構わず怒られたあと、よくよく話を聞いてみたら「心配だっただけ」と言われたとか、運転で緊張している人に声をかけたら怒られて、後々冷静になってから謝られた。なんて話はよく聞く。「あなたのことがとっても心配なんだよ」「焦ってるから後にしてほしい」と言えたら相手にも伝わりやすいはずだけれど、その場で冷静に本音を伝えるのは結構スキルが必要なのかもしれない。建前が美徳とされる文化圏で育ったのならなおさらだろう。私は30代になった今、このスキルを絶賛研鑽中だが、結構マシになってきたと言われる。これは何歳からでも学び直すことができるんじゃないかな、と思ったりする。

 ジャーナリングをしていると、未だに中学生の時の傷ついたままの私が、シクシク声を上げて泣くことがある。「思えばあのとき傷ついていたのかもしれない」と、大人になってから合点がいくことはあるけれど、できればその時に、その日のうちに。少しでも言葉にできていたら、私自身がまずは自分の味方になってあげられたんじゃないだろうか。ジャーナリングを始めてからは、相手に対しても自分の第一感情を言語化することを意識しているので、自然と本来の意思に近い言葉を頭の中から引っ張ってきやすくなったし、パートナーが「ああ、そういうことね」と共感してくれる機会も増えた。「桁違いに怒らなくなったよね」とも言われる。今まで散々怒っていて、本当に申し訳ない。ちなみに私の場合は、散々やったセルフコーチングよりも、ジャーナリングをすることで、将来目指したい像も掴めた感じがある。

 私は、本当は何を考えているのだろう?
 私は何に傷つき、何に感動しているのだろう?

 自分の本音を理解するところから、始まることも多いのかもしれない。

いいなと思ったら応援しよう!