都心近郊のマンション暮らしから、田舎の一軒家に住まう理由【トカイナカ移住】
2025年になって、すでに3週間が経ったところで、やっと本年初の投稿となった。
相変わらずのスロースターターぶりではあるが、そうなってしまった理由(言い訳)の一つに、まもなく「引っ越し」を控えているからというのがある。
引っ越し先は、田舎の田園地帯で築30年以上の一軒家、ほぼ空き家状態となっている夫の実家である。
夫にとっては、ただ実家に帰るだけのことではあるのだが、私にとってはガラリと暮らしぶりが変わることから、「移住」と表現しても差し支えないとさえ思っている。
これまで暮らしていた東京都内に程近い便利な高層階の賃貸マンションから一転、車がないと何かと不便な地域へ移り住むことになったのだ。
快適暮らしに慣れまくっていた私が、なぜ、今回このような選択をしたのか、かなり個人的な内容にはなるが、今回はそんなことを語っていきたい。
都心部近郊の高層マンション暮らしに違和感が。
結婚を機に、関東のとある県に移り住んで20年以上経つ。
その間、幾度か引っ越しをしているものの、どれも比較的交通の便がよく、車がなくても通勤や買い物、娯楽等に困ることがない地域で暮らしてきた。
そんないわゆる「何不自由ない生活」をずっと続けていたのだが、ここ3年ほど前から、この暮らしに違和感を抱きはじめたのだ。
今住んでいる高層階の部屋は、窓から見える絶景が素晴らしく、何度も心奪われてきた。
青い空に白い雲、夕焼けや夜景の美しさにも、癒されることもしばしばだ。(実は、夕焼けや富士山の画像は、自宅のベランダから撮影したものである)
しかしながら、なぜだかわからないのだが、自然の摂理と真逆のことをしているように感じるようにもなっていたのだ。
その一つに、地震で揺れるたびに、心穏やかでなくなってしまうということがあるのかもしれない。
一応、避難経路や避難場所の把握、有事の際のシミュレーションはしているものの、高層階からの避難は、阿鼻叫喚の図となることは目に見えている。
それよりは、まだ地面に近いところで揺られた方が、気持ち的には若干の安心感があるのだ。
まあ、それに関しては、どこにいても生き残る人は生き残るし、その逆もアリなので、なんとも言えないことではあるのだが。。。
何にしても、高層階での暮らしに、不自然さを感じはじめたというのが正直なところだ。
大地にしっかり足をつけて生きていきたい、なんてことを思いはじめたのかもしれない。
ただ、これはあくまでも私個人が感じていることなので、高層階やその居住者を否定しているわけではないことを、ここで申し添えたい。
(ご気分悪くされた方がいらしたら、ほんとごめんなさいです・・・)
農家さんと出逢い「農ある暮らし」が目標になった。
「地に足つけて暮らしたい」と思うようになったもう一つの理由として、農に目覚めたというのもあるのだろう。
2021年から、マンションの小さなベランダで、無農薬のプランター栽培に挑戦し、小ぶりながらも、ミニマル大根や水菜、枝豆などを収穫している。
そして、それに飽き足らず、2022年には、山梨県の富士山麓で無農薬栽培をしている農家さんのところで、数回にわたる農業体験に参加した。
毎回、採れたて野菜がお土産となり、すっかり野菜に関する舌が肥えてしまったようである(笑)。
その年の秋には、田んぼで無農薬米の収穫を手伝い、そのお礼にと美味しいお米をいただいた。
また、昨年2024年は、農家さんから田んぼの一角をお借りして、無農薬の米作りができる機会に、思いもかけず恵まれる。
そんなこんなで、農家さんや農に関わる方々から、あらゆる次元で多大なる影響を受け、自分も農ある暮らしをしたいという思いが、どんどん強くなっていったのだ。
私が出逢った農ある暮らしをされている方は、ほぼほぼ自給自足。
ただ、農業オンリーではなく、例えば、服飾のデザイン・縫製や、執筆・講演活動、会社経営など、農業以外にも精力的に仕事をされている方がほとんどである。
そして、周りの人や自然と調和をしながら、自分のペースでにこやかに生活されている方ばかりだ。
現実に地に足つけつつ、ボディ、マインド、スピリットが一致した生き方をされているようにもみえる。
なんでも自分たちで作ってしまうので、お金もそれほどかからない。
あぁ、なんて、心と身体、お財布に優しいのだろう。。。
私はしだいに、この方々のような生き方がしたいと思うようになったのだ。
昨年、田んぼの稲刈りが終わった時に、「田んぼロス」に陥ったことから、お世話になった農家さんの野良仕事(農作業)を手伝ったのだが、身体は疲労困憊なのに、気持ちはスッキリ晴れやかで、この感覚が病みつきになった(笑)。
が、いかんせん、今の家からは相当遠くて不便なのである。
現在住んでいる我が地域にも市民農園はあるが、私の希望としては、もう少し広い畑で作業をしたいのだ。(なんとわがままで身の程知らずな私なのだろうか)
自分で畑を借りながら、援農もしたい。それを考えると、今の家では何かと不便なのだ。
都心に近くて便利で快適なのに、今の私にとっては、不便極まりない場所になってしまっているという、なんとも皮肉な話なのである。
生活コストを下げたい。とにかく下げたい。
現実問題として、今住んでいる賃貸マンションは、私にとっては決して安くない家賃である。
多少不便になっても、もう少し家賃の低い住まいに引っ越すことも考えてはみたが、それこそ引っ越しそのものがかなりの出費になりそうで本末転倒だ。
それに、私は、何が起こるかわからないこれからの時代に、これまでどおりの生活スタイルや、生き方・働き方で本当にいいものなのかという思いを、常日頃から抱いている。
だからこそ、一旦雇われ人を卒業し、自分の力で稼ぐことをはじめたのだ。
ゆえに、今は「お金を稼ぐ」ということにしっかり向き合っていく時期であり、そうなると、生活コスト見直しは避けては通れないシビアな問題ともいえるのだ。
そこで考えたのは、田舎であれば、家に住まう費用が相当に低くなるのではないかということ。
オンラインをうまく活用すれば、不便な田舎でもなんとか収入を得ることが可能な時代だ。
そして、そこで農ある暮らしができれば、ある程度の食料は自分たちで確保できるので、食いっぱぐれが回避できる可能性は高い。
もし、嬉しいことに野菜が採れ過ぎて余るようなことがあれば、近所に分けることもできるし、なんならマルシェに出品したっていい。(今のところ妄想だが、そうなったら本望だ)
そうやって、地域の方々といい塩梅で交流できれば、何が起こってもなんとか助け合いながら生きていけそうだ。
考えが甘いとお叱りを受けそうだが、実際そのように暮らしている方々がいるのだ。
私が出逢った農ある暮らしを実践している方々が、まさにそうなのである。
そういえば、ここ最近の話ではあるが、YouTube動画で、経済アナリストの森永卓郎氏が、埼玉県ときがわ町でのトカイナカ(ど田舎でもないが都会でもない中間地域)暮らしのことを伝えてくださっている。
なんてタイムリーなのだろうか。
森永先生の貴重な体験をお聞かせいただき、これからの暮らしに一筋の光が差し込んできたように感じた。
空き家状態の家に住めることに。
ということで、数年前からそんな妄想をしつつ、田舎暮らしをしたいと周りにも吹聴していたところ、昨年の秋頃、ほぼ空き家状態だった一軒家に、家賃なしで住めることが決まった。
それが夫の実家である。ここでこれから我々夫婦二人で暮らしていくことになるのだ。
とはいっても、夫はただ実家に戻るだけだし、私はもう何度も泊まっている家なのでしっかり土地勘があることから、なんら不安や心配はない。
都心へのアクセスも在来線で1時間程度なので、それを考えると、便利だともいえるのではないだろうか。
そして、この場所であれば、先の田んぼでお世話になった農家さんのお家にも近くなり、援農の不便さも解消されるし、田舎ゆえに畑を借りられる可能性が高い。
そうでなくとも、少しばかり庭があるので、プランターと併用して野菜やハーブが育てられそうだ。
農ある暮らしに、確実に近づく。
そして、生活コストも、確実に低く抑えられる。
なんとも、ありがたい話だ。
そんな感じで、私の場合は棚ぼた式で「トカイナカ」暮らしが降ってきたわけだが、実はこれまで何度か以下のところで移住相談をしたことがあり、田舎暮らしの知識や情報を入手していた。
「ふるさと回帰支援センター」
https://www.furusatokaiki.net
各都道府県の担当者は、その土地にまつわる知識や情報が豊富であり、熱意がある方ばかりなので、首都圏の方は訪れてみるに損はないと思う。
(私は関係者ではないが、レア情報も入手でき面白いのでおすすめだ)
ということで、今年からはじめるそんな新生活を少しでも快適に暮らすために、年始から大掃除に精を出している。
30年間、開かずの扉状態だった台所のシンク下や昭和感満載の食器棚を勇気をもって開けてみる、なんてことをしている。
そして、感謝の思いで掃除をする。
きれいになったことで、自分の心身まで整うようだ。
この掃除についての雑感は、また今後記事にしていきたいほどである。
私の2025年は、こんな感じで幕が開いている。