大阪カジノもなんだかなぁ
公共事業全般、後出しジャンケンで「当初予算」なんて意味がない昨今。
まあ、これも「やっちゃったもん勝ち」の力技やね。
利益は『福祉』に・・・ってことらしいけど、『具体的にどの方面の福祉に?』『具体的に何がどうなるの?』というのを突っ込んでみると面白いんじゃないか?(と、大阪住みの私は思う)
ところで。
最近特に『定義のない(あえて定義しない)』のが各方面で流行りのようですが、いかがでしょうか。
例えば「福祉」と聞いても、各々、思い浮かべる内容は違うわけで。
親の介護が身近な人には高齢者対象のものを思い浮かべるかもしれないし、小さい子供がいる親は、子供対象の何かを思い浮かべるだろうし。
なので。特に『伝える』という場面において定義は本当に大事。
定義していないことで起こるトラブルは枚挙に遑がないだろう。
「あえて自分で言葉の意味を定義せずに含みを持たせた言い方で、定義は相手の価値観に依存する」というのは、人の「思い込み」を利用する詐欺師の常套手段の一つですしね。
人ってどうしてもね。
極論で言うと、自分の基準でしか判断できないので、だからこそ、言葉の定義っていうのが大切なんだよね。
言う人・聞く人、双方の認識を同じにすることが意思疎通の第一歩。
そこをうやむやにして言い逃げやり逃げしていく強引さが、最近とても鼻につく。
まあ、これもまた私個人の価値基準なんだけど。
ということでカジノといえば、例えばラスベガスの栄枯盛衰は周知の事実、じゃないかと思い。
調べてみようと思ったら、ちょうど首相官邸からこんなPDFが出てました。
知りたい内容は14ページにあるようです。
早速開ける。そしてこうなる。
あーはいはい。って感じ。
14ページがないんやけど。
いやもう、一気にモチベーション下がったし。
(だがしかしデジタルは残酷よねー。)
ちなみに。
こういう現実がある、っちゃある。
まるでイナゴの大群を想起させる。イナゴに失礼かもしれないが。
別に、経済効果が悪いわけでもなく、誰かが私服を肥やすのも別にいい。
そもそも、そんなことに嫌悪していてはマーケティングなんて関わっていられない。
経済が回ることはむしろ大歓迎、なのだが。
この件は、何かが違う気がしている。
書く仕事してて表現に困るってのもどうかと思うが、カジノの件では、表現に困るとしか言いようのない下品な不快感がまとわりつく。
兎にも角にも、だ。
この世にはカルマの法則というのがあるらしい。
それは、自分の行いが魂のある限り自分に返ってくる法則のようなもので。
なので、カジノにより生まれるものと失われるものがあるはずで、これに関わる人たちはその責を負うことになるわけで。
もちろん。
それは他人ごとではなく、それを黙認しているすべての人それぞれに適応されるのだと。
連帯責任みたいなものか。
今更ながら選挙って大事だな、と思う。
かつて若年の時代には「どうせ誰がなっても一緒」なーんて、とんがった風な、わかった風なことを思っていたこともあった。
が。
決して一緒ではない、一緒にしてはいけない。
無関心を最大の糧として、悪土壌が育まれることもあるんだよね。
だから、「私には関係ないという幻想」を許容してはいけない。
今は、そう思う。
事象は変えられなかったしても、意思表明は自分でできるんだ。
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