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【読書感想】苦手な作家を読むー柳美里著『新版窓のある書店から』を読んで

柳美里著 ハルキ文庫 2017年出版

 福島県南相馬にある柳美里が経営する書店「フルハウス」でサイン入りを購入して読んだ。

 この本は柳美里のかなり昔、1993年からの主に書評にまつわる文章を集めたエッセイ集。本についてと最寄にあった「窓のある書店」で購入した本のことが書かれている。後半は、それぞれの作家にまつわる文章。あとがきには、書店フルハウスについても書いてある。

 私は柳美里が苦手である。昔、彼女の小説を読んでから、なんか彼女にまとわりつく雰囲気が好きになれない、と思った。このエッセイを読んで、やっぱり、私は柳美里という作家は苦手なんだな、と思った。なんだろう。私、そんな苦手な人とかいないのに、柳美里は特殊だ。なにが苦手なんだろうと考えてみる。

 この人のここが嫌いだ、ということを赤裸々にしたいわけじゃないんだけど、なんで、柳美里に苦手意識が働くんだろう。この本で言えば「欲望のリアリズム」なんて文章はすごく好きじゃないと思った。性のことが三島の文章取り上げられてて、暴力の狭間にある性欲とかが書かれているんだけど、なんか、読んでいて気持ち悪くなる。それも、こないだ読んだ村上龍の小説込められているような、思い切りのよい「ザ・暴力と欲望」っていう感じではなく、すごくねちっこいというかネバネバ、じとじとしている話で、どことなく女性らしさも感じさせつつなんていうんだろう、もういいよ、と中断したくなる文章である。だったら読まなければいい、と言うと思うけど、最後まで読み切った結果、すごく長く感じる文章だったなと思う。在日なのに韓国語できないのどうして、と言われると、「私は韓国語を失ったのだ」と言ったり、幼いころ両親が韓国語で喧嘩ばかりしていて、韓国語にいい思いがない、と言ったり、それは分かるのだが、韓国の人と接するたびに、逃げるようにしている柳美里を想像すると、だったら韓国に行かなければいいのに、とさえ思ってしまう。子どもの頃の家庭が複雑だったとか、家出して自殺未遂して高校中退になって、結婚した相手がガンで生まれたばかりの子どもと自分を残して死んでいったこと、など、本当に壮絶な人生なんだが、その悲惨さをずっと引きずっている、過去の延長線上に生きている作家だと思う。誰もが、過去との延長に生きているが、その過去すべてが今に影響している、という生き方をしているのは柳美里が顕著なんじゃないかと思う。これは嫌だと思うことを言ってるんじゃなくて、いい意味でいってる。けど、もし自分だったらここまで壮絶な人生背負って暗い空気をまとったエッセイ書きたくないな、と思った。

 書店フルハウスに込める思いはとても良かった。

 「(...)世界は一つではない、世界は無数にある、ということを空間として表せる場所が、書店であり図書館だと私は思っている。」p. 262

 南相馬になんで引っ越したんだろ、とか思ってたけど、この本読んで、こういう避難場所である書店を彼女が作った意味は大きいということが分かった。


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