無字の公案の瞑想
「世界の瞑想法」に書いた文章を転載します。
公案禅
臨済宗の瞑想法は「公案」と使ったもので、「公案禅」とか「看話禅」と呼ばれます。
つまり、師からテーマ(問い)を与えられて、それに対する回答を求めて瞑想します。
回答を得たと思えば、師に会って、問答の中で確かめてもらいます。
江戸中期の白隠慧鶴が「公案」を使った瞑想修行を体系化しました。
つまり、修行を段階化して、「公案」をそれぞれに対応するように分類しました。
最初の段階が「法身」です。
あるいは「初関」とも言います。
「法身」は「見性」を得るための段階です。
これは言葉による認識の世界の外に出て、無概念の認識を得ることです。
趙州無字
「法身」で一番有名な「公案」が「趙州無字」です。
これは中国宋代の無門慧開が編集した「無門関」の第一則である「趙州無字」を素材にしたものです。
内容は簡単に言うと、「僧が「犬にも仏性があるでしょうか」と問うた時、趙州は「無」と答えた、これはどういう意味か」という問いです。
大乗仏教の教学では基本として犬にも仏性があります。
趙州のこの話は、もともとは、仏性は隠されてしまっているので「ない」という意味だったのですが、無門慧開はこれを、「ある/ない」という判断を否定し、言葉の世界を突破するという意味で「無」であると解釈しました。
こういった解釈は宋代禅の特徴です。
具体的な瞑想法としては、まず、数息観、随息観、を行います。
つまり、呼吸に集中し、それを数えます。
最初は20まで数え…10…2と、数える数を減らしていきます。
そして、最終的に一なる呼吸そのものに集中します。
そして、そこに無字のテーマを重ね、「無」そのものに集中します。
雑念が生じると、「無」への集中へと戻し、雑念をなくしていきます。
その瞑想について、無門慧開が説明しています。
まず、全身で一つの疑いの塊になって、一日中「無」の字を問題として持ち続けます。
一つの熱い鉄の玉を呑み込んでしまって、苦しくて吐こうと思っても吐けないような状態です。
そして「無」そのものに成りきります。
この状態を「打成一片(だじょういっぺん)」と言います。
禅は論理的に説明しないのではっきりしませんが、おそらく、集中している対象は、最初は「趙州無字の問い」であり、仏教の教理としての仏性の有無でしょう。
次に、自分自身を対象として、現実に仏性が表れていないことと、仏性を探すことになるのでしょう。
そこから改めて対象が、公安の「無という概念」になり、さらに「無概念の状態そのもの」になるのでしょう。
アビダルマの用語で説明すれば、「止」の瞑想によって「一境性」(第四禅の三昧)になるわけです。
ただ単に無概念に集中するのではなく、問いを考え抜くうちに、論理や概念の限界を認識し、自然にその外に出る、という契機があります。
実はこの方法は、インド、チベットの中観派の瞑想法に似ています。
様々なものに実体性・本質や、それが存在するかどうかを考え抜く中で、それが否定され、無概念の認識に行きつきます。
次に、「無」に成りきっていると、ある時「無」が爆発します。
この状態を「驀然打発(まくねんたはつ)」と言います。
無門慧開は表現不可能な自由な状態と書いています。
これを分析することは難しいのですが、鈴木大拙の解釈では、何かのきっかけに無概念の状態に対する自覚が働き、智慧が生まれるのです。
「止」の状態に「観」が加わると言えます。
ここで、自分の中に仏性を見つけることになります。
以上の体験をして、十分に理解を得たと思えば、師との問答に挑みます。
決まった問答があるのではなく、師は、弟子がテーマを体得して理解したかどうかを、即興的な問答の中で判定します。
この「公案」に合格するまで3年かかると言われています。
例えば、次のような問答となります。
隠山派の問答例
答:「無ー!」と力いっぱい叫ぶ
問:「その「無」の証拠をここに出してみよ」
答:「無ー!」と力いっぱい叫ぶ
問:「お前はどうやって仏になるか?」
答:「無ー!」と力いっぱい叫ぶ
問:「趙州は別の機会には「ある」と答えた。これをどう思うか?」
答:「たとえ趙州があると言ったとしても、私はただ、「無ー!」と叫ぶのみです」
問:「「無」の本質(体)とはどのようなものか?」
答:何も言わず、両手を胸に当てて(叉手当胸)立ち上がる。
問:「「無」の働き(用)とはどのようなものか?」
答:立ち上がり両腕を前後に振りながら、5、6歩歩き「行くべき時には行きます」。もう一度座って「座るべき時には座ります」
問:「無字の根源、それはどのようであるか?」
答:「広大な大地で極小の砂粒を動かす風がそよとこ吹かないところから、空や地や山や川、すべてが現れます」
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卓洲派の問答例
答:「無ー!」と力いっぱい叫ぶ
問:「「無」と言わないとすれば何と言うか?」
答:「有(ウ)ー!」と力いっぱい叫ぶ
問:「「無」と「有」を区別してみよ」
答:「無ー!」「有ー!」と力いっぱい叫ぶ
問:「「無」と「有」はどれくらい離れているか?」
答:部屋の敷居や戸などを指差して「ここから敷居まではこれこれの距離、あそこの戸まではこれこれの距離です」
問:「「無」を私に手渡してみよ」
答:何でもよいから自分の手にあるものを師に手渡す」
問:「「無」を手軽に使っているところを見せてみよ」
答:「ジャン・ケン・ポン」と言いながらジャンケンをする
問:「「無」の根源はどうだ?」
答:「馬鹿なことを! そんなものがあってたまるものか。顔でも洗ってこい! アッカンベー」と言って立ち去り、ふすまを閉める
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