マガジンのカバー画像

NOTEでのオリジナル記事

95
他サイトからの転載、再編集ではなく、NOTE.COMで最初に書いた記事を集めます。後に他サイトに転載することはあります。
運営しているクリエイター

記事一覧

ハタ・ヨガの起源とヤントラ・ヨガ

当投稿では、身体を使ったヨガである「ハタ・ヨガ(タントラ・ヨガ)」の起源が仏教にあることを紹介します。 そして、それは、「ヤントラ・ヨガ」と呼ばれる動きを伴ったヨガとして、現代までチベット仏教で、ゾクチェンとともに伝承されています。 この「ヤントラ・ヨガ」は、故ナムカイ・ノルブ・リンポチェによって1970年代に初めて欧米に紹介され、彼が率いた団体で広められています。 最後に、「タントラ・ヨガ」やゾクチェンの修行の様子を描いたルカン寺の壁画を紹介します。 体を使わない古典

虹の身体と光の脈管:仏教における身体の錬金術的変容

昨年末に『虹の身体』長沢哲(ビイング・ネット・プレス)という書籍が出版され、私にとって新たな知見があったので、改めて、「虹の身体(以下、虹身と表記)」に関する当稿をまとめます。 後期密教では、経典や宗派によって、様々な霊的身体を獲得したり、肉体を霊的身体に変容させたりすることが目指されました。 それは、現代に至るまで実践され、実際に実現されてきたようです。 中でも、「光の脈管」と表現される特別な脈管(ナーディ)を使って、肉体を虹の光のような「虹身(光身)」に変容させるゾク

インドの神々とタントラの身体論と月信仰

またまた、月信仰に関する投稿です。 本投稿では、最初に、インドの主要な神々(特にシヴァ派)の中にある月信仰の要素を取り上げます。 そして、インドのタントラの身体論と縄文土偶に見られる月信仰の共通点について取り上げます。 いつもと同様に、全体に、私見による推測が多くなります。 シヴァ・ファミリーと月信仰 タントラの主神とも言えるシヴァは、三日月を頭部に付けていて、「チャンドラシェーカラ(三日月の冠を持つ者)」という名を持ちます。 シヴァは、月神の属性を持つということに

ハイヌヴェレ神話と月信仰

先日、月信仰に関する連続投稿をしましたが、本投稿は、その追加の投稿になります。 「縄文の世界観と月信仰」のコメント返しで、縄文時代の地母神の殺害の神話が、ハイヌヴェレ神話に似ているだろうと書いたので、そのことについてテーマにします。 *縄文時代の地母神の殺害の神話・儀礼については下記を参照 ↓ ハイヌヴェレ神話は、インドネシア・セラム島のヴェマーレ族の神話で、同種の神話が東・東南アジアを中心に世界に広くに存在することから、ハイヌヴェレ型神話と呼ばれるようになりました。

メルヘンと錬金術と資本主義(ゲーテからエンデへ)

以前、「ゲーテ「メルヒェン」とシュタイナーの解釈」という投稿をしました。  「メルヒェン」は、ゲーテ作品中でも最大の謎とも言われるメルヘン形式の作品で、ゲーテ自身は「わたしの黙示録である」とも表現しています。 そのストーリーを一言で表せば、河の両岸に分かれていた「若者」と「百合姫」の二人が、「緑の蛇」や「老夫婦」の活躍で、両岸の間に再建された聖堂で結婚して王と王妃になり、両岸の世界に橋が掛かって結びつけるという物語です。 *「メルヒェン」のより詳しいストーリーは、下記を

縄文土器の月神から甕の境界神へ

月信仰に関する連続投稿の最後としての、付論的な投稿です。 月信仰そのものではありませんが、月信仰と関係する「甕(ミカ、カメ、土器、壺、鉢)」信仰がテーマです。 「縄文の世界観と月信仰」で書いたように、少なくとも何種類かの縄文土器は、それ自体が地母神、あるいは、その娘の穀物女神や水女神であり、同時に月女神でした。 また、土器はこれらの神の母胎であり子宮であり、それゆえに、埋葬に使われて再生の呪物となり、おそらく、魔除けの呪物としても使われました。 そして、「出雲の月女神と

出雲の月信仰と地上に降りた月神族

月信仰に関わる連続投稿の4つ目です。 過去にいくつかの投稿でも紹介したように、古代出雲は、月信仰が強い国でした。 カミムスビ、オオオナムチ、サダノオオカミ、キサカヒメ、ウムカイヒメ、ミカツヒメ、タキツヒコ、アジスタカヒコなどは、いずれも、月神や、その子神などの月神族、あるいは、月神がメタモルフォーゼした姿としての属性を持っています。 改めて、出雲に残っている月信仰について考察します。 ここには、月女神が地上に降りた後の、月信仰の形を見ることができます。 それを見ると

縄文の世界観と月信仰 2

月信仰に関わる連続投稿の3つ目で、「縄文文化の世界観と月信仰1」の後編です。 前稿に引き続き、縄文中期の中部高地周辺に栄え、土器などで豊かな表現を行った、井戸尻文化を中心にして、ネリー・ナウマンと、彼女の説を継承し発展させた小林公明と田中基に基づいて、その月信仰と関わる一部をまとめます。 本投稿では、前稿で紹介したことを、個々の土器、土偶、遺跡を取り上げならが、具体的に紹介します。 まず、ネリー・ナウマンの月信仰に関する説を紹介します。 次に、最も代表的な土偶である「縄

縄文の世界観と月信仰 1

月信仰に関わる連続投稿の2つ目の投稿です。 初めて体系的に縄文文化に月信仰を読み取ったのは、ネリー・ナウマンです。 小林公明や田中基らが、彼女の説を継承し、発展させました。 本投稿は、縄文文化の月信仰に関わる、彼らの説の一部を紹介するものです。 1万年の歴史を持つ日本の各地の縄文文化の中でも、最も遺跡数が多く、土偶、土器の豊かな表現が見られるのは、縄文中期に、八ヶ岳、諏訪などの中部高地を中心に栄えた、井戸尻遺跡周辺に見られる文化です。 小林や田中が論考の中心的な対象にして

記紀の「日隠れ」神話に消された「月隠り」神話

月信仰に関する連続投稿の第一弾です。 世界のほとんどの地域で、月信仰は太陽信仰に先立ちます。 旧石器時代から存在した月の神話は、新石器時代以降に、太陽の神話によって置き代えられていったと推測されます。 これは、日本でも同じでしょう。 そして、天武・持統期には、国家の宗教として太陽信仰が確立されると共に、各地の月信仰が抑圧され、消されたと推測されます。 これについては、他の投稿でも再考しますが、本投稿では、まず、記紀の「天の岩戸隠れ」神話を入口として、その背景に「月隠り」

冶金と錬金の宗教的コスモロジー

オリエント=ヨーロッパ(アレキサンドリア→アラビア→ヨーロッパ)の「錬金術」が、最初に記録で確認されるのは、帝政ローマ時代初期です。 インドの「錬金術」と中国の「煉丹術」の記録がいつからあるのかは、諸説があるようですが、インドはヴェーダに始まり、中国でも紀元前からあるとする説があります。 これらの地域の「錬金術」、「煉丹術」は、影響を与えあったことが推測されています。 ですが、これらの背景には、有史以前からの「隕鉄」や「冶金」、「錬金」に関わる宗教的な観念、コスモロジー

究極の瞑想法としての「なるがまま舞踏」

心の「あるがまま」を重視する瞑想法は、瞑想法の中での一つの究極の形でしょう。 前稿の「雑念から創造を引き出す瞑想法」は、「あるがまま瞑想」を基本としながらも、創造的な変化を重視するものなので、「なるがまま瞑想」と言えるかもしれません。 ですが、これらも含めて、瞑想というのは、たいてい「心」を問題にするだけで、ほとんどの場合、「体」を置いてきぼりにしています。 「体」を使うヨガはありますが、これは型が決まったもので、基本的には「心」へ進む前段階的な位置づけです。 プラーナを

雑念から創造を引き出す瞑想法

人は何かに集中していても、あるいは、何も考えないようにしていても、心には、しょっちゅう「雑念」が生まれます。 ほとんどの瞑想法では、この「雑念」は追い払うべきものです。 この投稿では、まず、仏教各派のいくつかの瞑想法を取り上げて、その「雑念」に対する態度の違いを比較し、そこに「雑念」に対する可能性を探ります。 その後、いくつかのラディカルな心理療法をヒントにしながら、「雑念」に意味を見出し、それと向き合い、創造的な成果を生み出すための、広い意味での瞑想法を考案します。

脱魂と憑霊3:中国、チベット、日本

「脱魂と憑霊1:狩猟、農耕文化から生まれた変性意識」、「脱魂と憑霊2:オリエント、西洋」に続く投稿です。 この投稿では、中国、チベットと日本の宗教、道教や密教、神道などに見られる「脱魂」と「憑霊」の要素をまとめます。 古代中国 中国には、現代に至るまで、「神憑り」を行う巫覡が多くいます。 ですが、北方や西方、東方に、特に古い時代には、狩猟、遊牧民族の影響でか、「脱魂」的な宗教現象も見られます。 中原の最古の王朝である殷では、祭祀王が神権政治を行っていました。 国家の