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縄文土器の月神から甕の境界神へ

月信仰に関する連続投稿の最後としての、付論的な投稿です。
月信仰そのものではありませんが、月信仰と関係する「甕(ミカ、カメ、土器、壺、鉢)」信仰がテーマです。

「縄文の世界観と月信仰」で書いたように、少なくとも何種類かの縄文土器は、それ自体が地母神、あるいは、その娘の穀物女神や水女神であり、同時に月女神でした。

また、土器はこれらの神の母胎であり子宮であり、それゆえに、埋葬に使われて再生の呪物となり、おそらく、魔除けの呪物としても使われました。

そして、「出雲の月女神と地上に降りた月神族」で書いたように、地上に降りた月神は様々な姿になりましたが、「甕の神」はその一つです。

出雲の「甕」の女神であるミカツヒメは、出雲大神と恐れられ、大和朝廷によって消されました。

ですが、本稿で述べるように、他にも「甕の大神」がいて、現在まで祀られている神もいます。

月信仰は、徐々に失われ、あるいは、抑圧されましたが、後の時代、そして現代まで、形を変えて残りました。

月の再生信仰は、女性器=「甕」の魔除け信仰となり、境界神信仰となりました。


甕被り葬、甕棺墓


縄文時代の埋葬方法の中に、土器である深鉢=甕(かめ)を頭に被せて埋葬するものがありました。
これを「甕被り葬」と呼びます。

甕を(地母神=月女神の)子宮、あるいは、胎盤と見立てて、再生を祈ったと考えられています。


また、大きな甕に遺体を屈葬で埋葬することもありました。
これは、「甕棺(かめかん)墓」と呼ばれます。

やはり、「甕棺」を子宮、あるいは、胎盤と見立てているのでしょう。

これは縄文時代の後期・晩期には、各地の一部で見られました。

弥生時代になってからは、北部九州で広く行われました。
北九州の一部の遺跡では、三種の神器と一緒に出土しています。

吉野ケ里遺跡の甕棺 from WIKIPEDIA


埋甕


縄文時代の謎の風習の一つに、住居の入口の地中に深鉢形の甕を埋める「埋甕」があります。
「埋甕」は、下部に穴が開けられているものや、逆さにしたもの、石棒と一緒に埋められたものもあります。

住居の入口以外にも、炉や、立石の近くに埋めることもありました。

「埋甕」の目的については2説があります。

一つは、死産児を入れて、再生を祈った、とするもの。
根拠としては、死産児の遺骨を、住居の近辺のトイレや玄関など、女性がよくまたぐ場所に埋葬して再生を願ったという、近年まで残っていた風習があることです。

もう一つは、後産などの胞衣を入れて、地上から踏むことで、子どもの健康を祈ったとするものです。
こちらも、近年まで似たような風習があったことが根拠とされます。

ですが、出土した「埋甕」からは、遺骨も胞衣も確たる形では発見されていないので、両説は成立しづらいと思います。

私見ですが、地母神=月女神の依代として、住居や炉、立石に聖性を付与したり、住居の入口という境界を守る魔除け(息災、辟邪)が目的だったのではないかと思っています。


壺形埴輪、朝顔形埴輪


時代は下りますが、古墳には、多数の「壺形埴輪」、壺を付けた「朝顔形埴輪」、もともと壺を載せた「円筒埴輪」が並べられました。

おそらく、これらの目的は、結界であり、魔除けだったのでしょう。
縄文以来の甕に関する観念があり、「再生」=「聖性の付与」=「魔除け」の呪物だったのでしょう。

当時の人は、これらの壺に、どのような神が宿ると考えていたのでしょうか?
古墳の上に置かれているので、壺に若変水(雨)を垂らす月神でしょうか?

前方後円墳の形は、壺の形にも見えますが、このことも意識されていたのかもしれません。

柳井茶臼山古墳の朝顔形埴輪 from WIKIPEDIA


坂の甕の神


「丹波国風土記」には、播磨との国境に、大甕を埋めたので、甕坂と言うと記載されています。
甕は山坂の境界を守る呪物ということです。

また、「筑紫国風土記」には、筑前と筑後の境界の山の荒ぶる神を鎮めるために、筑紫君と肥君の祖の甕依姫(ミカヨリヒメ)が祀ったとあります。
甕の神が山の境界神ということです。

これがとんでもない記述だと思うのは、私だけでしょうか?
筑紫や肥の国は、倭国の中心勢力だったハズです。
その祖が「甕依姫」という名であることは、倭国の主神が「甕の神」ということになります。

以前の投稿で、九州王朝の主神が月神だったと主張しましたが、月神=甕神だったのかもしれません。

また、「古事記」には、和邇氏の祖が和邇坂に忌瓮(いわいべ=甕)を据えて戦闘に行ったとあります。
甕が境界を越えて行く者を守る呪物ということです。

「万葉集」にも、甕が旅人の守り神になったことが歌われています。


これらから、甕、甕の神が、山坂などの境界を守る呪物、神だったことが分かります。


浦の甕の神


『延喜式神名帳』で「神宮」と呼ばれる神社は、伊勢、鹿島、香取の3社だけです。
その一つである鹿島神宮の祀神のタケミカヅチは、記紀では、「建御雷」、「武甕槌」、「武甕雷」など様々に書かれます。

ですが、この神の実体は、海底に沈められていた甕の神です。
女神ではなく、男神とされます。

荒れる海を鎮める神であり、境界神です。
鹿島は、蝦夷と大和の境界でした。

鹿嶋神宮の「古き神人の伝」によれば、この甕はもともと豊前にあったとされます。
先に書いたように、北九州は、甕棺葬の中心地であり、筑紫君と肥君が甕の境界神を祀っていました。

また、九州の五島列島の漁民に間にも、航海の安全を願って、台所の大甕に水をいっぱい入れておく、という風習がありました。

ちなみに、四国ですが、鳴門の甕浦神社のご神体も、海から引き上げた大甕です。


これらから、甕、甕の神が、海の境界の呪物、神でもあり、航海の守り神だったことがわかります。


道祖神、アメノウズメ


境界神として一番有名なのは、村の境などに祀られている道祖神(サイノカミ)です。

男女が寄り添う形の神像が一般的ですが、その本質は、男根と女陰でしょう。
男根石や女陰石が各地に存在します。
本稿のテーマに関わるのは、女神=女陰の方です。

甕は子宮の象徴でもあるので、女陰でもある道祖神は、甕の神と同種の神と考えることもできます。

女陰を見せることは、世界的に魔除けとされてきました。
中世には、教会にすらシーラ・ナ・ギーグと呼ばれる魔除けが置かれています。

シーラ・ナ・ギーグ from WIKIPEDIA


アメノウズメは、サルタヒコが天孫の前に立ちはだかった時、そして、天の岩戸開きの時に登場します。
その時の姿については、記紀では、「裳緒を陰に押し垂れき」とか、「裳帯を臍の下におしたれて」とか、「火処焼き」とか、記されています。

前2者は、女陰を見せていることの婉曲的表現ではないでしょうか。

「火処焼き」は、イザナミの火神カグツチの出産を思わせるもので、太陽の復活にも象徴的に近く、その呪術になっているのでしょう。

このことは、「再生」と「魔除け」が一体であることを示しています。

アメノウズメとサルタヒコは、道祖神の夫婦の由来とも言われています。

前の投稿で書きましたが、サルタヒコは出雲のサダノオオカミ(オオナムチ)と同じ神とも言われ、サダノオオカミは月女神の御子神なので、アメノウズメは月神族になります。

もし、「ウズメ」は、葛などの山の枝葉を頭に巻いた巫女を指すのでしょうが、「渦女」にも掛かっているとすると、縄文土器・土偶に描かれた渦が月の運動を象徴するので、月女神となります。

もちろん、そうでなくても、月信仰の立場から見れば、月は山や木に降りる神なので、葛にも月神が宿っているのですが。


また、アメノウズメは、岩戸開きの時、「槽伏(うけふ)せて踏み轟こし」て踊りました。
桶を裏返しにして踏んでいるのですが、これは何を意味するのでしょう?

私見ですが、桶は甕と同じ象徴性を持つと思います。
甕は直接には踏めないので、桶になっているのでしょう。

埋められた「埋甕」を地上から踏むことが由来で、それが再生=魔除けの呪術となっているのかもしれません。
「埋甕」は、甕を逆さに埋めることもあります。

天岩戸神社東本宮の桶の上で踊るアメノウズメ from WIKIPEDIA

*月信仰や甕信仰とは関係ありませんが、「槽伏」に関しては、次の説も面白いと思いました。
裏返しの「槽伏」=アメノウズメは、冬至の太陽の岩戸隠れの不毛を示し、上向きの「槽」=豊受大神は、豊穣を示す。
これが、冬季に見られる裏返しの北斗七星と、夏の上向きの北斗七星に当たると。(「日本神話のコスモロジー」北沢方邦・平凡社)

再掲載:出雲の甕の大神、アメノミカツヒメ


前稿「出雲の月信仰と地上に降りた月神族」の中の、甕の神アマノミカツヒメの部分を抜き出して編集して、再掲載します。

「出雲国風土記」で新月の神でもあるオオナムチの息子されるアジスタカヒコは、成人しても昼も夜も泣いてばかりいたと記されています。

一般に、アジスキタカヒコは鋤の神、農業神とされます。
ですが、アジスキタカヒコが泣くというのは、若変水を垂らす新月の特徴です。

アジスタカヒコは、言葉を喋らなかったけれど、オオナムチがこの息子が言葉を喋る夢を見たので、息子に問うと、「三沢」と喋り、三沢郷で禊をしました。

この物語と同様の物語が、垂仁天皇の息子ホムツワケノミコトが言葉を発さなかったとして伝わっています。
記紀では、「出雲大神」が、自分の社殿を皇居のごとく作り替えれば、言葉を話すようにすると要求しています。

ですが、「尾張国風土記」には、皇后の夢にアメノミカツヒメが現れ、自分を祀れば皇子は言葉を発すると神託します。

アメノミカツヒメ(=アメミカジヒメ)は、アジスキタカヒコの妻神です。
一般に雨の女神と言われていますが、その名から甕(ミカ)の神でしょう。
酒を作る土器の女神とすれば、水の女神になります。

「日本書紀」には、「出雲大神」とアシハラノシコヲ(=オオナムチ)の名が記され、この二人が別人にように読めます。

つまり、記紀がここで「出雲大神」と書いている大きな力を持つ祟り神の実体が、実は、アメノミカツヒメという聞き慣れない甕の女神だったことが推測されます。

大和朝廷、記紀は、この神を恐れて消したということです。

甕の神は大神と呼ばれるほどの神であり、成長(再生)させる力を持つ神だったということです。


*主要参考書

・「埋甕」木下忠(雄山閣)
・「生の緒」ネリー・ナウマン(言叢社)
・「日本神話論」大和岩雄(大和書房)


タイトル画像は、吉野ヶ里遺跡の甕棺墓埋葬の模型 from WIKIPEDIA


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