分身のようでいて、別人。
前回は自分のことを書いたので、今回は子どものことを書こうと思う。来月3歳のお誕生日を迎える息子は、今この瞬間に何を考え何を思っているのだろうか。
そんなのわかるわけないから母は考えるのだ。
3年前に子どもが生まれた
前回の記事を読んだ人は多少なりともおや、と思ったかもしれないけれど、我が家は結婚から12年経って子が産まれた。気付いたら高齢出産でいろいろと気を使うところはあったし、まぁお金も時間もかかったけど出会えて良かったと心から思う。子、かわいすぎる。
時に見習いたいと思う素直さと、本気で喧嘩をするような激しさは子がいなければきっと知らない感情だったと思う。毎朝保育所へ行くと「かぁちゃん、バイバイさみしいよぅ…泣」という。バイバイじゃないよ、いってらっしゃいだよと言って手を離すのが最近の日課。
さて、そんなかわいい我が子ではあるが、わたしは彼に期待しないように心掛けている。年を追うごとに出来ることが増え、成長の過程を身近でみていると『あんな事もこんな事も』できるんじゃないか…?天才なのでは…?と思っていろいろ言いたくなってしまうのだけど、ぐぐっと我慢。彼のやりたいことを一緒に模索していく事が大切と思うから。その為の時間や経費はいくらでも与えてやろうじゃないか!かぁちゃんフリーターだけど。
過度な期待は邪魔だから、いっその事こと捨ててしまえばいいんだ。何のフィルターも通さない素の彼を見てわたしも成長していけたらいい。
書きながら思い出した、『遅い時の子だから(やっと来た子だから)かわいくて仕方ないでしょう?』と言われることが多い。もちろんその通りなんだけど、子なんていつ産まれたってかわいいに決まってるし、そんな当たり前のこといちいち確認すんなや、と思うのだけどこれが世の中の見方なんだな。
その世の中には『遅い時の子は過保護』『ひとりっ子は過保護』みたいな見えないレッテルがある。経済的にも落ち着いてるし?親にも余裕があるんでしょ?的な。現実は体力の限界だしバイトなんですけどね、、
そういうものに抗っているところもあるのかも知れない。
自由研究、早くやりたい
まだ気の早い話なのだけど、子と一緒にやりたい事がある。もちろん彼がやりたいと言えば、の話だけれど。
近所に道の駅があって、わたしはそこで月2万円〜5万円くらいの売り上げがある。売るのは散歩中に採った山菜や木苺、天然のきのこ、手芸品など。子が産まれてゆっくり歩くようになってから見える景色が変わった。こんなところにコシアブラあんの?知らなかったー!とか、この木の実めっちゃかわいいな…!みたいな発見が毎日あった。今もそのスタンスは変えずに売れそうなものを探しながら散歩している。
ちなみに散歩中はゆっくり歩きたいのでこんな曲を聴いている。お散歩とサニーデイの組み合わせ最高…!たまらん。
そう、それで子の自由研究にこれをしてみたい。
①目標を決める。
彼が欲しいもの、行きたい場所など。それにかかる費用が目標売り上げ金額。
②お散歩する。
お散歩中に彼の琴線に触れるもの、知っている山菜、野草。何でもいい。君がいいと思った石ころだって売れるかも知れない。
③商品として出品する。
きれいに袋に詰める、ポップを描く。売れるために何が必要か考えよう。時には作戦会議もしよう。議長は君だよ。とうちゃんは書記ね。
わたしがやるのは、その葉っぱやきのこには毒がないか調べたり、大人の交渉をしたりすること。あー、早くやりたいなぁ。絶対楽しいじゃん!こんな事、村に住んでなきゃできないぜ?
今後のこと
子が産まれて1年間は育休期間で子育てをした。その後フルタイム勤務で復帰したので、子育てのイニシアチブは夫に移った。夫は村内でわりと時間に融通が効く仕事をしていたし、義母も協力してくれる…筈だった。
コロナ禍となり、夫がワンオペで仕事と子育てをする傍らで、その大変さを見て見ぬふりをしていたのかも知れない。日々いらいらしている夫にわたしは何を思っていたか全然覚えていない。ただ、本当に有難いし申し訳ない気持ちがずっとある。この思いは多分一生消えないし、これからも節目ごとに戒めとして思い出すのだろう。感謝しかない、まじで。
そんな中、10年勤めた会社ではいろいろと変化があり、なんだかうんざりして辞めてしまった。こんなに簡単な事ならばもっと早く辞めれば良かった。辞めてからは毎日が楽しくて、子とずーーーっと一緒にいた。
そして4月、保育所へ。言葉が遅いとか、落ち着きがない等の理由で臨床心理士と面談したりしたけど、今は特に問題も無く元気に過ごしている。
今しかできない事や、今しか許されない事がたくさんあると思う。そのひとつひとつを落とさないように子と接していきたい。確実に子もわたしも夫も成長している。