施してない、むしろ耕してる。
年が明けたら40歳。世間的にはもう“いい歳”なんですよね。そう、もう充分いい大人なんだよ。自分の気持ちがあの頃と変わっていなくても、それは変化に対応できていないだけだから、必要に応じてアップデートを繰り返していかなければ体裁的に母親になったところで何も成長できていないのと同じこと。周りは何も言わなくても自分が窮屈で生き辛くなってしまうから、自分が過ごしやすいようにコントロールしていく事が大切なんだと思う。
年上の役割ってなんだろ
夫が事務局をしているNPO法人の主催するキャンプにスタッフとして参加してくれる大学生と一緒に過ごすことが多い。若さはすごい。毎回新鮮な驚きと気付きをくれる。
ついつい調子に乗って深夜まで話し込んでしまうけど、楽しいから仕方がない。紫外線と夜更かしは敵なのに、、敵なのに。
彼らがご飯を食べに行きたいといえば連れて行くし、ビールが飲みたいといえば買っていく。学生には絶対お金を使わせない。
夫は大学生の時冒険探検部に所属していて、そこの先輩にたくさん良くしてもらったんだそう。そんな話を聞いて単純に「いいな」と思った。わたしはと言うと、いわゆる普通の短大生だったから先輩に奢ってもらうとか、旅行に行くとかそんな経験殆どなくて同世代の友達とキャッキャウフフしていたなぁ。でもそれはそれですごい楽しかった。ルームシェアしていたあの子は今何してるかなぁ元気かなぁ。
結婚してから交友関係がぶわっと広がり、年上の友人がたくさんできた。そんで、おいしいものをたくさんご馳走してもらっている。今だってそう。敬語も使わない、下心もない関係が心地よくてつい甘えてしまう。
いつだって刺激的で楽しいことを教えてくれるのはだいたい年上の友人だよね。よく言うじゃん、有名なギタリストが初めてギターを触ったのは友達のお兄ちゃんが持ってて、、みたいな話。あれと一緒だとおもう。知らない世界を知ることはとても面白い。そしてそんな世界を存分に見せていきたいと思う。
その一つが彼らに食事をご馳走することだと思っている。彼らの人生の中に「おいしいものをご馳走してくれる20歳上の友人」がいてもいいじゃない。わたしはわたしで「20歳下の友人」がとても大切だと思ってもいいじゃない。このよくわかんない関係がとても曖昧で気に入っている。
施してないよ
彼らにいつだか「施してもらった記憶しかないよ」と言われたことがある。
いやいや違うでしょ、といったか言わないか。施しているという気持ちはこれっぽっちもない。むしろ「耕している」という気持ちだよ。
君たちの未来が輝きますように、あわよくば〔私の〕息子の未来が豊かになりますように、という気持ちだ。
だからわたしはたくさんご馳走するし、いろんな所へ一緒に行きたいと思っている。大人にお金を払ってもらって申し訳ない気持ちなんか持たなくていい。むしろもっと甘えてほしい。
最近特に仲良しな子らは、わたしとは14~歳が離れている。そして、息子とは15~歳が離れている。わたしはいつか息子にしてもらいたい経験を彼らにしているんだろう。こういう経験をした大人が増えるといいなと思っている。そしていつか息子も大人にご馳走してもらって、大人になったら若い子にご馳走して、どんどんどんどん繋がっていって、豊かな未来が待ってるといいな。そのための先行投資なんだよ、なかなかの策士でしょ。
焼き肉いってくる
今度キャンプの打ち上げでみんなで焼き肉行くんだ。楽しみだなー。11月にあるライブも一緒になるかもしれない〔サニーデイサービス観たい、観る〕まだチケット取ってないんだけど。
セツナ名曲だから聴いてほしい。これ生で聴きたいなぁ。PVも中毒性があって定期的に見ちゃうんだよなぁ。
そうそう。LINEのやりとりも、たまに会って話すことも全部ぜーんぶわたしの糧となっていることを忘れないでほしい。こちらこそとても貴重な体験をさせてもらっているという気持ち。わたしも与えるだけではなくてちゃんと受け取っている。彼らのおかげで定期的に大人のアップデートができている。いつもありがと。
ひとつ欲を言うなら富豪になりたい、笑。