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「いらっしゃいませ」より「こんにちは」がいいな、と思う話

 先日ラジオで「カスハラ」という耳慣れない言葉が聞こえてきた。
「カスタマーハラスメント」の略で、いわゆるクレーマーと呼ばれるような、行き過ぎたクレームや理不尽なクレームのことを指すようだ。

 例を挙げると、そのサービスはやっていないと伝えても「なんでやってないんだ」と怒鳴ったり、携帯ショップで「なんでこんなに待たせるんだ」と怒ったり、タクシーで「遠回りをしているだろ」と因縁をつけて暴力を振ったり。

 うんうん、いるいる。はたから見てても「そんなことで、そんな怒らなくても…」と思う"お客様"。

 客と店員。お金を払ってサービスを受ける側と、お金をもらってサービスを行う側。お金とサービスの価値は等価なのだから、どちらが上という考え方はわたしは変だと思うのだけど、「お客様は神様」という言葉は多分、今もそこここで生きているのだろう。

 わたしは海外経験もないし語学にも明るくない。乏しい知識と経験で海外と比べてどうこう、なんて話はできた口じゃないんだけれど、それでも少し、思い出すものがあった。

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 わたしが生まれて初めて海外旅行をしたのは、大学院1年の9月だった。行った先は、まだまだ夏の日差しの強いイタリアで、とにかくジェラートがおいしい良い季節だった。

 わたしはそれまで日本を出たことが一度もなかったので、とにかくビビっていた。友達と二人で行こう!と決めてチケットを取ったはいいものの、国際線に乗るのも初めてだし、イタリア語はもちろん英語もできないし、ユーロの数え方はわかんないし、イタリアはとにかくスリとか詐欺が多いと聞くし、ワクワクする気持ちと不安で心配な気持ちが正直3:7くらいだった。陸と海くらいの割合だった。

 そうして内心めちゃくちゃビビりつつ、電子辞書と地球の歩き方と友達を頼りに初めて行ったイタリアは、想像していたほど物騒な国ではなく、陽気で気楽で気持ちの良い国だった。(幸運にもスリにも詐欺にもあわなかった!)海外旅行、全然怖くないじゃん!と思った。

 6日間と短い滞在だったし、観光地らしい観光地しか見ていないのだが、それでも現地の人たちのユルさというか、気楽さみたいなものに、「あ、な〜んだ!このくらい、肩の力抜いて生きてていいんだ!」みたいな、とっても開放的な気持ちになったのを覚えている。

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 イタリアの店員さんたちは、なんというか、みんな自然体だった。愛想の良い人も、悪い人も、みんな、自然だった。
 1軒だけ違ったのは、ヴェネツィアで入ったレストランは、店員さんたちが底抜けに陽気でエンターテイナーで、まるで映画の中にいるような気分にさせてくれて、その接客スキルに驚いたのだが、お会計にはしっかり「サービス料」が入っていた。でもわたしも友達も「これは納得のサービス料」だと思ったし、少しも悪い気がしなかった。むしろいい気分だった。(もちろんお料理も、おいしかった!)

 海外で「いらっしゃいませ」にかわる言葉ってあるんだろうか。イタリアだったらみんな「ボンジョルノ」と挨拶してくれる。レストランの店員さんも、ジェラート売りの店員さんも、スーパーの店員さんも、ホテルの人も、タバコ屋の店員さんも。
 店に入ったとき、もしくはレジの前に立った時彼らは「ボンジョルノ」と挨拶する。ボンジョルノ、と言われるとこちらも自然に「ボンジョルノ」と返す。最初は慣れないその発音を口にするたびちょっとドキドキしたが、すぐに慣れて「ボンジョルノ」とか「グラッツィエ」というのが楽しくなった。

 そして日本に帰ってきて、わたしは「アレッ」と思ったのだ。飲食店に入っても、コンビニに入っても、店員さんは「いらっしゃいませ」という。いらっしゃいませに対して返す言葉はわたしたちは持っていない。下手したら、コンビニに入って、品物をレジに出してお金を払って、そして何も言わないまま、一言も言葉を発さないまま店を出てしまう。店員さんだけが「いらっしゃいませ」とか「〜円です」とか「ありがとうございました」としゃべっている。

 「いらっしゃいませ」と一方的に言われて迎え入れられる「お客様(神様)」というこの構図。いままでずっと当たり前だと思ってたけど、よく考えたらなんだかすっごく変な気がしてきた。なんというか、コミュニケーションが一方通行なのだ。

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 もしすべてのお店の挨拶を「いらっしゃいませ」から「こんにちは」にしてみたらどうだろう。
 コンビニでレジに商品を持って行ったら、「こんにちは」と挨拶される。こんにちはと言われては、なんだか黙っとけないから「こんにちは」と返す。そうして挨拶を「交わす」ことで、対等な人として、相手をちゃんと見られるのではないだろうか。というかそもそも、挨拶の役割って、そういうものなんじゃないだろうか。

 個人のお店だと結構、お店の人と常連のお客さんが「こんにちは」とか「こんばんは」とか挨拶している風景は見かけるけれど(そういう風景がわたしは好きだ)、コンビニやスーパーやチェーンの飲食店になるとそういうシーンはなかなかお目にかからない。

 大したことじゃないのに怒鳴りつけたり、理不尽なことでクレームをつける人は、自分は王様で、店員は自分がどんなことを言っても「いらっしゃいませ」と迎え入れてくれる奴隷のように思ってるんじゃないだろうか。

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 元のツイートがもうわからなくて申し訳ないのだが、いつだかツイッターでこんな話を見たのを覚えている。

 それはとある病院の話で、「今日から患者さんのことを〜さんじゃなくて、〜様と呼ぶことにしよう」という話になり、実際に実践した。そうすると、実行し始めてから数日、数週間とたつにつれ、一部の患者さんの態度が変わってきた。以前はそうじゃなかったのに、とても横柄な態度を取るようになってしまったというのだ。
 そこで、やはりここはそういうお店ではないのだから、もとの「〜さん」という言い方に戻しましょうということになり、元に戻したところ、段々そのような態度は見られなくなっていったという話だった。
(わたしの記憶で書いているので、元の話と多少ズレがあるかもしれません、すみません)

 人は過剰に敬われると、なんだか偉くなったような気持ちになってしまう生き物なんだろうか。丁寧で親切な接客は大切かもしれないけど、丁寧で親切ということと、自分を下げて相手を上げる、というのは根本的に違う話だと思う。
 それに、そんなに質の高いサービスを求めるならば、それこそヴェネツィアのレストランよろしく、サービス料をしっかり払うべきだと思う。

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 わたしは、「いらっしゃいませ」なんてかしこまってくれなくっていい、神様扱いなんて逆に窮屈だ。それより店員さんと「こんにちは」「こんにちは」と、挨拶がしたい。わたしたちは誰しも神様でもなければ、奴隷でもない。同じ人と人なのだ、その時の立場が、サービスを与える側か受ける側か、お金を払う側かもらう側か、というだけの違いなのだ。

 コンビニやスーパーで「こんにちは」というのは最初はもしかしたらこそばゆいかもしれない。でも、「ボンジョルノ」というのが段々(下手くそな発音なりに)口に馴染んできたように、そんな挨拶に慣れるのなんかすぐだと思う。そうしていつか「こんにちは」と挨拶しあうことが当たり前になったら、わたしも相手も同じ人と人なのだということを、忘れずにいられるようになるんじゃないだろうか。

 多分、イタリアの店員たちは、客であるわたしのことを「神様」なんて微塵も思っていなかったと思う。同じ人として良くも悪くもそれぞれが適当に接客していた。

友達に話しかけるみたいに話しかけてくる露店のお兄ちゃん、客に気づいてなさそうな全然やる気のないスーパーのおばちゃん、英語がわからないのか「トリュフ、トリュフ!」としか言わないトリュフ激推しのおっちゃん、「わたし英語が苦手なのよ」といいながらも買った商品ついてめっちゃいっぱい説明してくれるおばちゃん、さりげなく学生割引つけてくれた親切な画材やのお兄ちゃん…

なんというか、全員がそれぞれ思うように勝手にやっていた。でも、それが気楽で気持ち良かった。それでいいじゃん、とわたしは思う。


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