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皇帝の愛すべき人柄~光武帝劉秀~

後漢(ごかん)王朝を興した光武帝劉秀(こうぶていりゅうしゅう)は人情味に溢れた皇帝として大変に人気があります。本日はその逸話を一つご紹介。

ある日の光武帝やもめになったがかねて好意を寄せていた高官の宗弘を呼び出しこう言いました。

「ことわざにあるだろう。身分が高くなれば付き合う人間も変わる。富貴になったらを変えるとな」

暗に光武帝は宗弘が姉と再婚する気があるか脈をみているんですね。それに対する宗弘の答えがフルっています。

「陛下。私めはこのような話を聞いております。貧乏をした時に助けてくれた人々との交流は忘れてはならない。貧乏な時に支えてくれた妻は家から追い出すべきではないと」

宗弘には文字通り「糟糠の妻」がいたのです。その妻を見捨てられないと断ったんですね。なんと男気のあることでしょう。

姉は屏風の後ろに隠れてこの顛末を伺っていました。

「うまくはいかないもんだねえ」

と光武帝はつぶやいたとか。

皇帝からの誘いを断るというのは、臣下には中々出来ないことです。それでも宗弘は堂々と気持ちを述べて断っています。またそれをすんなり受け入れた光武帝も大したものです。再婚したいと願った姉の気持ちを何とかしてやろうと思う弟。光武帝はこういう人間としての感情豊かな皇帝だったのです。その治世もよろしきを得て、後漢は200年程続きました。

これが有名な「糟糠の妻」の語源となった逸話です。

そういえば、秀吉もたくさん側室を抱えていましたが、正妻である北政所のことは終生大事にしましたね。彼女は多くの大名とも親しく、豊臣政権には欠かせない存在でした。彼女の人柄も愛されていたんですね。「糟糠の妻」の有難味は国が違えどかわらないということなのでしょう。私も宗弘を見習いたいと思います。

困った時に助けてくれる人が本当の友人だと私は思います。宗弘はこの点でも人を見る目が確かな人だったのかも知れませんね。

皇帝だって人間だものというお話でした。


                       出典:「後漢書 宗弘伝」

                              おしまい

※こちらにも人間臭い皇帝の逸話を載せています。


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