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日本人のマインドについて、今思うこと。海外に旅立つ方々へ
もうすぐニュージーランドに来て約半年にさしかかる頃。いまだに色んな方々が残してくれている体験談を、ネットで時々見ています。
素敵なワーホリ体験や経験、アドバイスなどを見ていて、気づいたこと。
「〜は失敗でした」
「圧倒的なリサーチ不足でした」
「ここは私の至らない点でした」
などの投稿を見かけることがあって、その度に心がきゅっとなり、ううっと圧力のかかったような気持ちになる。
そりゃ現地に来るまで分からないことが沢山あるのはあたりまえでしょう〜と
声をかけたくなります。
むしろ、日本を飛び出してこんな異国の地に来られたこと時点で、立派なリサーチ成功です。
ここまで辿り着けない人だって、いるんだから。
完璧であることを求めるのは、日本人の私たちが無意識にとらわれている固定概念の一つではないでしょうか。
悩んだり、揺れ動いたり、うまくいかなかったり、失敗だったかも、と思ったり。
でもそれらがなければ、得れなかった事だってたくさんある。それが経験、学び。
人生に起こることは、どんなことであれ全ていい事でしか無いとニュージーランドに来てはっきりと分かりました。
日本人である私たちはたとえ誰かに「すごいね」と褒められたりしても、
日本人の私たちはよく、
「いやそんなことないよ」と言ってしまう。
「まだまだ努力不足」
「もっと精進しないと」
というような、常に自分に満足せず上を目指し続けることが美徳とされている文化。
それって今の私からすると、素敵そうに見えて少し悲しいマインドです。
今の現状に満足できないことは、ある意味「病み」の一つだと思っています。
日本にいる心から尊敬する人から教わったこと。
「大きな丸の中に、小さくて黒い丸があるとする。大きな丸が自分で、小さい丸が私が欠点だと思っていること。
たとえ自分自身が成功して大きな大きな丸になったとしても、その”欠点”とみなす丸は消えることなく、比例してさらに大きくなるんだよ。」
「だから、丸が小さいうちから、小さい黒い点を見逃さずに向き合うのが大事だよ」
これは「もっとお金があれば」
「〜があれば、〜できればもっと幸せになれるかも」といったマインドが必ずしも幸せにはならないことにも値します。
成功しても、お金を得ても、自分が自分で欠点だと思うことは消えない。むしろ大きくなっていくという、普遍の原理です。
だからこそ、自分がいま自分でいれることに幸せを感じ、一定の満足感があることが私は必要だと思っている。
また日本で古くから根付いている禅の思想から派生した「マインドフルネス」の考え方が一昔前から世界中に知れ渡っている。
マインドフルネスとは、今ここにあることを感じること。それは「足るを知る」という日本人にとって馴染みのある文化が先に世界で取り入れられ、日本に逆輸入されてきているということ。
「足るを知る」
って、原点にして頂点、ような考え方だなと思います。
今世界ではこの考え方が今の社会に必要だよね、というムーブメントであるけれど、
昔の日本人は最初から知っていたんです。
もう少し、近代化しすぎた日本人の思想が
古くから根付く思想に少しずつ戻っていくといいなと思います。
また日本では特に理由もなく「すみません」と言ったり、
「そんなことないよ」と謙遜したり、恥じらいという概念がまだ良しとされている大変稀な文化。
世界的にも日本人は「礼儀正しい」人柄というイメージが一般的に普及していて素晴らしいと思うのだが、これからの時代特に21世紀後半に向けて、自分自身を病めるような度を超えた礼儀正しさは無くしていくべき、と思っている。
日本人らしい、「思いやり」「丁寧」な部分はもちろん受け継がれていくと素敵だと思うのだけれど、
度を超えた礼儀正しさは海外でも「変な」態度として認識されるから面白い。
特に、「すみません」の乱用。
こっちでは「Don’t be sorry」や「don’t say too much sorry」と言われます。
また、「謙遜」という独自の文化。
「いやそんなことないよ」と謙遜して発する言葉は、海外では本当に自信がなくて能力がない人と思われるそう。
ある教授の話を聞いたことがある。
「人間は自分が発する言葉を脳で本当に受け止めるから、口から出す言葉は常に本音でなければならない。」という話。
そんなことないよ、という言葉は、
自前述したように自分で自分自身を卑下している言葉に値するので注意です。
人間の脳はその言葉の通りに反応して、本当にそんなことのない人間になってしまうそうです。
言霊って、凄い力。
だから私は、この手の対処法に
「Thank you. I’m trying.」(ありがとう、そうなれるように頑張っているんです)と言うようにしている。嘘のない、正真正銘の言葉。
職場の同僚のKiwiの仕事ぶりをすごいね、と褒めた時に、彼女が使っていた言葉で、
嘘がなく、相手にも自分にも気持ちのいい素敵な言葉だなと思いました。
自分自身にも、相手に対しても、嘘のない素直な自分でありたいと思っている。
また私が最近疑問に思い始めているのが、
“恥じらい”というの文化。
恥じらう女性が良し、とされている文化は、英語でも説明が難しいし、海外の人からも「なんだそれ?」と反応されます。
「Are you comfortable?」(それってあなたにとって心地いいの?)なんてどストレートに聞かれたりして、
私自身も不思議で変な文化だなと思っています。
恥じらう、と言うことはわかりやすく変換すると、「恥ずかしがること」。
西洋文化では
「よくないこと」だそうです。
どうしても恥じらうことをよしとする文化が邪魔をして、女性が本当にやりたいことを声に出す機会が少ないのも、日本社会の特徴だなと思いました。
海外では、女性が率先して
「〜したい」「〜する」ともはや男性をリードして道を切り開いていく姿がカッコいいとされています。
またそんな女性が、セクシーで、素敵なんだとか。
私もそう思う。
女性に対する概念が真逆なのも、また面白いなと思いました。
そして最後にもう一つ。
「〜しておいた方がいいです」
「〜すべきです」
この手の言い方は、本当に注意が必要。
誰しもが彼等なりに、”善かれ”と思って発言しているものだから本当に厄介。
本当に善かれ、なものは他人に教えてもらうようなものではありません。
特に、ワーホリに関するアドバイスの記事でよく使われていたりして、読者はそれを見るたびに
「〜したほうがいいんだ」
「〜しないと厳しいのかも」と
固定概念を植え付けられます。
読む人が無意識に足かせをはめられるような、
行動することをちょっと躊躇うようなこと。
難しいのかも、ってちょっと臆病にさせてしまうもの。
それが「〜すべき」論。
これってもはや軽犯罪に近いと思っています。
でも、あくまでそのアドバイスや体験談って、その人本人が体験していること。
価値観も違えば、英語力だって違う。
環境も違えば、その時の国の状況だって違うもの。
だから私は全てを鵜呑みにしないでほしいし、
私自身がこう言った言葉を使わないように気をつけている。
このnoteも、かつての私のような、不安とワクワクが共存しながらも、ニュージーランドについてリサーチしている、そんな人に向けて情報のシェアとして始めたもの。
私がこのnoteで気をつけていることは、
読んでいる人に「わくわく」や「自分にもできるかも」「楽しそう」というポジティブな思いを持ってもらうこと。
本当に自分がしてきたことの細かいアドバイスや、注意点などを述べたところで、本当にどうなるかなんて誰にもわからないのだから。
せめて読んでくれる人には「案外できそうだな」と思ってもらえるような、潜在意識に「できる!」が植え付けられるようなものしたい。
私自身過去に、バリスタが仕事を得るまでにどれだけ大変だったかの話も見てきたし、
どういうルートを辿れば効率よくワーホリで上手くいくか。どんな仕事をしたら、ビザが手に入るかなどなど、、、
私自身、ここまで生活してきてどの記事やどのアドバイスにも当てはまらなかったし、海外で生活して仕事をすること、初心者でバリスタをすることなんて思った以上に、勇気さえあれば本当に簡単でした。
困ったときは周りが助けてくれます。(本当に)
そして出来ると思ったらできる。
出来ないと思ったらできない。これにつきます。
そしてどんな形で一年を過ごしても、全部正しい!
だから、全てのことにできるかできないかなんて深く考えず、やりたいことに挑戦してほしい。
とても有意義でありがたい情報でも、
「私には難しいかも」と心がううっとなるものは徹底的に無視してほしい。
そして留学だけにとどまらず、日本に向けて。
「〜したほうがいいよ」という文法自体をなくしてもいいのでは、と提案したいです。
英語にも「should」という同じ文法があるのですが、
ネイティブの親友は人に対して使うときは、注意が必要な言葉だと言っていました。
英語で使うときはもっぱら、
「あの場所は綺麗だからぜひ行くべきだよ!!」
「きっと君なら喜ぶはずだよ」
というような使い方で使います。
本当に人に何かをアドバイスしたいとき、
「strongly recommend」を使います。
意味は、僕は〜を強くお勧めするよ。といった感じだろうか。
あくまでも、おすすめ。
選ぶか選ばないかは相手次第。
まだ、相手に選ぶ余力を残す言い方であるのが、いいですね。
海外へ出てから、日本の素晴らしさが知れた分、
日本人がとらわれている固定概念の多さに気づき始めました。
そしてそれらが、私がとってもストレスな日常を送っていた原因でもある。
日本では多くの人がそうであるからこそ、
当たり前として受け入れているからこそ、
強くNOが言えなかった。
けれど、そんなマイノリティな人々にも出来ることって、たくさんある。
私みたいに一度場所を離れてみるのも手だし、
声に出して訴えかけるのも手。
だから私は、住む場所が選べる今の時代だからこそ、わざわざ日本に合わない人が日本に住む理由なんて無いよな〜と考えています。
ニュージーランドの来てから、
ヨーロッパの人と触れ合ってから、やっぱり私のNOと思う感覚は変じゃないんだ、と感じることができて、とても気持ち良く毎日を送れています。
少しでも、悩める人の一押しになれたら幸いです。