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『ミドルマーチ』職業選択への誠意
ジョージ・エリオットの長編『ミドルマーチ』。
主人公ドロシアとリドゲイトを中心に物語は進むが、
私が好きなのは土地差配人の娘メアリ・ガース(卒論もこれで書いた)。
そしてもう1人、メアリの結婚相手で喜劇的役回りのフレッド・ヴィンシー。
今回は、知人と仕事について話したことでフレッドのことを思い出したため、
忘れないうちに、フレッドの「仕事」についてアウトプットしておきたい。
『ミドルマーチ』フレッドとメアリの物語展開
フレッドとメアリは幼馴染で、互いに思い合っている。
しかしフレッドの実家は、メアリの実家が下層中流階級のため結婚には否定的。
親に牧師になることを運命づけられているフレッドだが、本人にはそんな希望はない。
そのやる気の無さ、適性のなさをメアリは指摘し、
「牧師になったら結婚しない」とまで言う。
フレッドは他の登場人物たちの真心にも触れ、
土地差配見習いとなるためメアリの父の下で修行。
最終的にフレッドは農場経営に才能を発揮、
とても裕福とは言えないまでも、メアリと幸せに暮らす。
「職業適性」という概念
舞台は19世紀の地方都市、
家業があり、子どもが男子であるなら、絶対にその子は跡取りとなる(それ以外の選択肢はない)流れ。
フレッドは家業(元々の地主ではなく、事業で成功した「成り上がり」だった)の箔付けのために、牧師になることを運命づけられている。
信仰心に由来しているわけでもなく、親の命令以外の理由はない。
牧師になりたくないフレッドは大学の単位すら危うい。
しかも賭け事をし、親戚の遺産まで当てにする始末。
当人の怠惰な性格が示された後であるにもかかわらず、
恋人のメアリによって「職業の向き・不向き」について語られ、適職を選択するよう促される。
フレッドは心を入れ替え結果的に自分の適職に就いて、
愛する女性と結婚し、困らない程度の財を成す。
「柔軟さ」と「信条」
当時、こんな柔軟な小説が他にあっただろうか。
田園風景に美徳を見出す作家といえど、
エリオットにとっては家系の繁栄はそれほど重要でないのか。
フレッドとメアリの物語のテーマには、「変わらない愛情」が大きく打ち出されていて、
フレッドの妹ロザモンドとリドゲイト夫婦と明確な対比になっている。
フレッドとメアリの愛情が「変わらない」ことは美しいとされているのに、
ヴィンシー家の家業を守ることについて特に好意的に描かれないのは興味深いと思う。
家父長制度、受け継がれる土地や財産、古くから守られている風習も田園風景の一部だ。
しかしエリオットはそれらを守ることよりも人の聡明な態度や純粋な愛に目を向けていて、
長い時間をかけて培われるものは美しいが、かと言って「頑なに伝統を守ること」がいつも正解だとは考えていないのかもしれない。
また、メアリは「向いていないのが分かっているのに、惰性で牧師になるなんて誠意がない」というようなことを言う。
メアリの家庭環境はエリオットと似ていて、エリオットは彼女に自身の姿を反映している。
そういったことを踏まえると、おそらくエリオットも牧師に限ったことでなく全ての職業選択に誠意を求めていて、
「真っ直ぐな気持ちを持てる職業選択」を正義としている。
疲れた現代の人々にも響きそうなこの信条、
仕事で「え?」ということが起きるたび思い出す。
この仕事に真っ直ぐな気持ちを持てるのか、
日々自分に問いながらどう生きるか考えたいものだ。