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18歳だった私へ。


18祭をみた。

ただの合唱ではなかった。

身体全体から溢れるようなエネルギーを放出しながら、一人一人が「本音」を叫んでいた。

私が特に心に残ったのは、大森元貴さんの言葉だ。

今感じている不安とか悩みは、大人になってもずっとまとわりついてくるもので、消えることはない。だけど、みんなで一緒に何かをするとか、楽しいことをするとかで「紛らわしていくことはできる」(すごい雑にまとめるとこんな感じ)

どんな気持ちも、自分が独りではないことからこそ感じられるもの

誰かと関わるから苦しくもなるし、嬉しい気持ちにもなる。誰かとの関わりの中で苦しみを抱いても、その苦しみから救い出してくれるのは誰かだったりする。



「僕のこと」との繋がりを感じた。どんな日でも、なんて素敵な日だと言えるようなかけがえのない1日だということ。「僕のこと=me」「ダーリン=you」この二つは螺旋的に存在しているんじゃないか。

当たり前のことってなんで忘れてしまうんだろう。
1人で布団でうずくまっている時には気付けない、大切な当たり前を改めて認識することができた気がする。

18歳の私


18歳だった私は、部活引退の喪失感→必死の受験勉強→不登校?→無事卒業 という流れの中にいた。

学校に行かなかった空白期間があった。
受験勉強でそれぞれがピリピリとした空気の中、人間関係が原因で二週間ほど学校を休んだのだ。

初めは、遅刻をして学校に行くことが増えて、「なるべく学校にいたくないなあ」という気持ちが大きくなった。

ある日お昼過ぎから学校に行こうと考え、カフェで勉強していたとき、涙が止まらなくなり人生で初めて過呼吸になった。そのまま泣きながら親に連絡をし、もう卒業式まで学校に行けないかもしれないと伝えた。

それから初めの一週間は家で引きこもるORマックで勉強をして過ごし、友達や先生の声がけがあり後半の一週間ほどは教室ではない個室のスペースで登校することになった。

当時の私はその個室のスペースで過ごす時間が好きだった。
志望校合格のために過去問を解いたり、勉強をして、お昼休みの時間になると遊びにきてくれる友達と楽しく過ごしていた。きちんと教室に通えればそれが一番良いことだけど、それがどうしても出来なかった。
ある日は、友達の誕生日を個室スペースでサプライズでお祝いするなど、ちゃっかり友達の中で秘密基地になっていた。

教室への帰還

実際は、体育館の入り口を踏む一歩が私の大きな前身だった。

体育の時間、私は個室スペースを抜け、みんなのいる体育館に戻ることになった。
クラスメイトはバレーボールのボールをポンポンと弾ませていた。

私の心臓の鼓動もボールのように跳ねていた。

無数の球にそれぞれが注意を向けている。その空間が私のハードルを下げてくれた。

私はこっそりと、一つのグループに混じり、あたかも「最初からいましたけど」というような出立ちでボールを弾ませた。

すごく仲の良い友達は体育の時間に私が戻ることを知っていたが、それ以外のクラスメイトは全く知らなかったので、私の姿を認識すると二度見するか、私に気遣ってか何も見ていないような素振りでそのままボールを弾ませていた。

中には涙を流しながら私に抱擁をしてくれる子もいて、想像以上に私は愛されているかも?!と嬉しさと戸惑いの両方を感じていた。

原因になったクラスメイトのいるグループの子にはSNSをブロックされるなど、いろいろなことがあったが、無事卒業式に参加できた。

笑顔で写真を撮った。

そして現在

私は休職している。今の状況を見て、家族の1人は

「なんか(学校行ってないこともあったから)5年に一回くらい何かあるからあんまりもう驚かないと思う」

と言われて思わず笑ってしまった。正直今後、私がどんな選択をするのかわからない。不安もあるし苦しみもある、生活の中で感じる喜びもある。

時々、自分は社会から離れた場所にいて、どこにも属していないような孤独に苛まれることもあるけど、自分が独りでないことを思い出して紛らわしていきたい。

18歳の自分へ

大森元貴さんは、18祭でのパフォーマンスが終わった後、会場のみんなに向けて

絶対独りじゃないからね

と大きな声で伝えてくれた。
テレビの前でその言葉を聞いた私は、泣きながら頷いていたんじゃないかと思う。

いつ聞いたって救われる言葉No. 1なんじゃないか?


私も18歳の自分へ、同じ言葉を送りたい。



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