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僕は本を読まない [1]

小さい頃から本を読まない子供だった。

親に特別買い与えられることもなければ自分から進んで手に取ることもなかった。小学生の僕の本棚には『ドラベース』と『結界師』とその他のマンガくらいしか入っていなかった。

朝の読書時間も読まない。図書館にある『ズッコケ三人組』も『かいけつゾロリ』も『ダレン・シャン』も『ハリーポッター』もまともに読んだことはなかった。それでも勉強はできる方だったし、人よりも理解力はあるし、「本を読んでいるから何が出来るようになるんだ?」と思いながら生きていた。

高校の頃は授業で夏目漱石の『こころ』を読まされた。あれだけ薄い本でも苦痛のがデカかった。

結局高校を卒業するまでに人生で読んだ本の累計はいいとこ20冊くらいだったと思う。しかも、何を読んだのかやどんな内容だったかを全く覚えていない。僕は典型的な本を読まない、というよりも読めない人間だった。

そんな僕でも一浪目が終わったときに本を読んでみようと思ったことがある。本を読むことの意味を知りたかった。そこらへんの小説を読んでも教養にならないし、かといって自己啓発の類は嫌だし、などと考えた結果、

「名著と呼ばれるものから手をつけよう」

と考えた。そこで帯に『東大教授が勧める!!』とデカデカ書かれた文字に当時東大落ち真っ只中だった僕は魅きつけられ、

『カラマーゾフの兄弟』を手に取った。

今ならわかる。あれは確実に1冊目に選ぶべき本ではない。しかも僕は異文化を受け入れるのがとてつもなく苦手だ。本書はロシアの宗教、人間関係、行動文化を背景として重厚な物語が進む。案の定ロシアの常識の部分で引っ掛かり、尚且つなんとかスキーという名前が連打される登場人物の関係図を頭に描くことができず、上中下の中巻でリタイアした。

すぐに泣いて喜んだり、手の甲にくちづけをしたりと理解ができなかった。

そのまま二浪に突入し、本どころでは無くなった。二浪目はずっと早稲田の図書館で勉強していたから本に囲まれた1年間だった。あまりにも疲れた日、早稲田の図書館を散策していると、斎藤佑樹の母親が書いた本があり、読んでみたことがある。

僕が人生で読んだ中で一番最悪の本だった。調子に乗るとはこのことなんだということがはっきりとわかるものだった。子供が活躍して母親の方が調子に乗ってしまうくらい甲子園の魔物の威力は凄まじいようだ。

そのゴミのような(事実ゴミなんだが)本をしまい、日々は過ぎ、僕は早稲田の図書館から抜け出した。

新たな大学で1年の頃、『土木建築史』の授業があった。理系の講師で一般教養の部類。その講師はちゃんと授業をやるタイプの講師で授業終わりにA4一枚分くらいレポートを書く。授業に関連していないとダメだし、点数も付けられる。

僕は授業をなんとなく聞いて、絡めつつも自分のフィールドにむりやり持ち込んで書くようにしていた。

何回目かの授業の時に僕は『本を読む意味は特にないのではないか』という昔からの疑問に結び付けて、レポートを書いた。僕の結論は特に本を読む意味はないだろうというもので、書いた文章を見返している時にふと思った。


「あれ? 俺の文章、なんか言っていること薄くないか…?」

昔から自分の持論はずっと同じで、それに固執していて、一つの経験だけに寄り掛かっているものなのではないかと気づいてしまった。語彙力や表現の乏しさにも。

その時になんとなく僕は本を求めた。大学1年の冬だった。

本選びの仕切り直しだ。『カラマーゾフの兄弟』で痛い目を見ている僕は、本屋を一通り見た後に村上春樹の『1Q84』を手に取った。
過去の名作ではなくて、現代のすごいと言われている作家の作品にしようと決めた。確か中学生くらいの時に朝のニュースでこの本の発売時の行列が取り沙汰されていたことをギリギリ覚えていた。

でも当時の僕に言いたい。
なぜこれを選んだんだ、と。​
確かに面白いが、性行為は多いし、一々しっかりと描写したがる。くどすぎるくらいに比喩表現を使う。それでも流石は売れている作家だと思ったし、映像化できない奇妙で壮大な世界を作り上げている。

大きな問題は文庫本で6冊もあることだ。初心者の入り口には全く適していない。

そんな大作を僕は1ヶ月もかからずに6冊全て読み切っていた。当時は野球部だったから、家に着くのは夜の23時だった。眠い目を擦り、電車の中や授業中に読み進めた。何のエネルギーだったかわからないが何かに駆り立てられていた。

読み終わった後に気づいたことが二つあった。僕は苦行と思える受験勉強でどうやら様々な成長を遂げていたらしい。

一つ目に、活字を読むことが得意になっていたこと。
今までは苦手だった。集中力もなく、文字が脳に入ってこなかった。だから本を読まなかった。しかし2年間も毎日世界史と日本史の教科書を暗記するほど読んだことで文字への抵抗も、知らない文化や知らない言葉を読むことへの抵抗も無くなっていた。

二つ目に、答えを求めないこと。
何度もいうが、僕はあの受験生活で死ぬほど苦しんだ。生きる意味も、今日頑張るだけの理由も、何度も何度も繰り返し考えた。予備校という狭い世界で多くの講師の話を聞き、早稲田の図書館という一人の世界で現実と理想に向き合った。そこで僕は簡単に答えを求めない生き方を自然と身に付けていた。
だから僕は本を読まなきゃと思った時に、誰かがたどり着いた答えが載っている本ではなくて、物語という世界に乗せなければ吐き出せないものを表現した手段である小説を選んだ。自然と小説を選んだことを少しだけ誇らしく思った。

苦しい中にあるちょっとした成長を噛み締め、僕は6冊読み切ったのだ。

そこらへんの中学生でも1年間で6冊くらい平気で読んでいるだろう。でも僕が本を読めるようになったのは、21歳の時だった。こんなに小さなことでも、僕に読書をさせるには十分すぎる成功体験だった。


こうして僕はあまりにも遅く、読者になった。

<to be continue>

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