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孤愁のひと
(ショパン、夜想曲嬰ハ短調による
高橋虫麻呂の筑波山に登る歌、萬葉集より)
ショパンの曲を弾きました
ひとりはピアノを
ひとりはバイオリンを
−草枕 旅の憂(うれへ)を
−慰もる こともあらむと
−筑波嶺に 登りて見れば
ピアノ弾きが思ひました
少し曇つた空が似合ふ
バイオリン弾きが思ひました
トリルには柔らかい悲しみを
道は枯れ葉が積もり
空は曇つてゐました
−尾花散る 師付(しづく)の田井に
−雁がねも 寒く来鳴きぬ
それから暫くのあひだ
少し陽が射してきました
−新治(にひばり)の 鳥羽の淡海(あふみ)も
−秋風に 白浪立ちぬ
バイオリン弾きの空はまた曇り
日がおぼろに見えるところ
そこを少し見上げ
−筑波嶺の よけくを見れば
目を少し下ろしました
−長き日(け)に
−思ひ積み来こし
しみじみとした悲しみが一層深まり…
−憂はやみぬ
なめらかな水の流れ
澄んだ川に泳ぐさかな
葉に落ちる雨つぶ
安らぎでせうか
深い孤独でせうか
慕情でせうか
* * *
犬養孝先生の萬葉集の講義を昔ラジオで聴いた。なかでも、この高橋虫麻呂の歌(巻九、1757)は特に印象に残っている。最後の句「憂はやみぬ」と言っているけれど、本当はやんだのではなく、一層強まったのだと語っていたように思う。先生の「虫麻呂の心」(萬葉の風土 続、に収録)には、こう書かれている、
「…『憂はやみぬ』は決して鬱憂が消滅したものではなく、…鬱憂はさびしい景への定着のやすらぎを得て、一層深まり落ちついた孤寂に達してゐる。 この落ちついた孤寂の中からこそ、人生への限りない慕情、清らかな懐かしみも発するものであつて…」 真に深い読み(解釈)だと思う。
ショパンは自分の曲が空虚なセンチメンタリズムでもって演奏されるのは大嫌いだったに違いない、とピアニストのフィッシャーが書いているけれど、この夜想曲はショパン20歳の頃、片思いの頃作られた作品、本来はピアノ曲。憂いはやみぬと言いながら、安らぎを得て一層深まる憂い、何か虫麻呂の思いと通じるものを個人的に感じる。わたしだけだろうか?