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生と死の窮まり

手記より抜萃(分かりやすくするため一部修正)…


2017年9月28日 (65歳)

もう何十年か昔のことになる。高校生の頃、スペイン語を独習した。 独習書の最後のレッスンに短篇 "Puesta de sol"(落日)からの一文が抜萃されていた。 

それは Sobre la muerte(死について)と題されていた。これを読んだ当時は、生を謳歌して いた年代である。内容は理解できる。では…、と考えれば、 それを本当に実感するとき〜今よりもっと実際的で身に迫った現実として 考えるとき〜がくるのだろうなあと思うばかりであった。訳文を少し引用する。

人は各々めいめい自分を死なないものと考えています。 いつかは死ぬだろうということは知っていますが、このことがきょうの日にも起こるか もしれないことは決して信じません。即ち自分の死は明日においてのみ有り得ること だとし、その明日を無限に延ばしてゆきます。 他人が死ぬのは当り前のことのようにわれわれには思われます。
……
その宗教的信仰の基礎を死に置きながらも、健康を享受する間は、死というものが存在 することを信じようと欲せずに暮らし続けているこの人類は、かくのごとくにして、代 から代へと、波のように後から後から打ち寄せてゆくのでしょう。

Puesta de sol, Vicente Blasco Ibáñez作 笠井鎮夫訳

歳とともに親しい人たち、親、親戚が亡くなるのをみる、 「他人が死ぬのは当り前のように」。 そして、今のところわたくしはまだ平均寿命以下なのだ。ということで、 死についてさほど実感を持たない。今なお 「このことがきょうの日にも起こるかもしれないことは決して信じません」 なのである。


2017年12月9日

小雨の降る初冬、男が道端に立つて、煙草を吸うてゐる。枯れ葉が一枚、男の前に舞ひ、湿ったアスファルトの上に落ちた。男は吸うてゐた煙草を水たまりに捨て、歩き出した。
吸い殻の火が消えた。男の向かうから、自転車が勢ひよく走つてくる。その勢ひのためだらうか、たまたまの風か、枯れ葉が水たまりの方に飛ばされる。そのまま何事も起こらない。ただ時間が過ぎてゆく。

静かに過ぎゆく時間の中で、どこかでだれかが一瞬一瞬の変化を語りあつてゐる。
(煙草は男に決断の時を与へ、そのために道半ばで尽きたのよ。)
(自転車の乗り手は、どこを目指すのだらう。)
(葉の命は尽きても、なほ身を処するところを求めてゐるわ。)

(光り輝く死)

……マッチは、あかあかともえあがって、あたりはまひるよりも、もっとあかるくなりました。おばあさんが、このときくらい、うつくしく、おおきくみえたことはありませんでした。
 おばあさんは、ちいさな少女をうでにだきあげました。ふたりは、光とよろこびにつつまれながら、たかくたかく、天へとのぼっていきました。……

マッチうりの少女

……おひめさまは、なかばかすんできた目をひらいて、もういちど王子をみつめました。と、船から身をおどらせて、海の中へとびこみました。じぶんのからだがとけて、あわになっていくのがわかりました。
 そのとき、お日さまが、海からのぼりました。やわらかい光が、死んだようにつめたい、海のあわの上を、あたたかくてらしました。人魚のおひめさまは、すこしも、死んだような気がしませんでした。
……
 人魚のおひめさまは、すきとおった両うでを、神さまのお日さまのほうへ、たかくさしのべました。そのとき、うまれてはじめて、なみだがほおをつたわるのをおぼえました。

人魚のおひめさま

【註】アンデルセン作、矢崎源九郎訳

(報いはなくとも)

……ごんは、ぱたりとたおれました。兵十はかけよってきました。家の中を見ると、土間にくりがかためておいてあるのが、目につきました。
「おや。」
と兵十はびっくりして、ごんに目をおとしました。
「ごん、おまえだったのか、いつも、くりをくれたのは。」
ごんは、ぐったり目をつぶったまま、うなずきました。

ごんぎつね 新美南吉作

(絶望の中で)


時 利あらず 戰ひ つ退き
身には瘡痍さういつつみ 口には藥を含む
腹背ふくはい皆な敵 まさいづくにか行かんとす
劍をつゑつ閒行かんかう 丘嶽きうがく
南 鶴が城を望めば 砲煙のぼ
痛哭涙を飮んで つ彷徨す
宗社亡びぬ 我が事はる
十有九人 屠腹とふくしてたふ

白虎隊 佐原盛純作

【註】間行(抜け道を行く)
鶴ヶ城(会津若松城)
宗社(ここでは会津藩)

(愛にすべてを)

この世の名残り、夜も名残り。死に行く身をたとふればあだしが原の道の霜。一足づつに消えて行く夢の夢こそ哀れなれ。あれ数ふれば暁の、七つの時が六つ鳴りて、残る一つが今生こんじやうの、鐘の響きの聞き納め。寂滅為楽じやくめつゐらくと響くなり。 鐘ばかりかは、草も木も空も名残りと見上ぐれば、雲心なき水の音、北斗は冴えて影うつる、星の妹背の天の河。梅田の橋をかささぎの橋とちぎりていつまでも、われとそなたは女夫星めをとぼし。必ず添ふとすがり寄り、二人がなかに降る涙、川の水嵩みかさも勝るべし。……

曽根崎心中 近松門左衛門作

【註】あだしが原(墓地)
雲心なき水の音(雲は無心に漂い、水は無心に流れ)

(死を分別せず、死を全うする。)

いつの間にか、雨が大きくなり、窓ガラスに水滴が走る。ガラスが曇る。外の風景が霞む。部屋の中では、赤い服の人形と青い服の人形が二人、外の景色を眺めてゐる。二人は、雨の日も、晴れの日も、区別なく見続けてゐる。刻一刻の変化を見届けてゐる。個々は関係を保ち全体的存在を動かしてゐる、全体的存在は、個々の中に永遠を閉じ込める、作家は、秘せられた永遠を取り出し、それをゑがく。紫式部は言つた、真実は寧ろ物語の中にある、と。

ほとけは常にいませども、うつつならぬぞあはれなる、人の音せぬ暁に、
 ほのかに夢に見え給ふ。(26)
❑暁静かに寝覚めして、思へば涙ぞおさへあへぬ、はかなくこの世を
 過ぐしても、いつかは浄土へ参るべき。(238)
❑佛も昔は人なりき、我らもつひには佛なり、三身さんしん佛性ぶつしやう具せる身と、
 しらざりけるこそあはれなれ。(232)

梁塵秘抄

【註】三身(法身、報身、応身の三種の佛の現れ方)
佛性(佛となる性質)


今日のおまけ

挑戦する若者たち。Harmonaire決勝、アカペラグループ「My Neighbor」

(参考:優勝はこちら Rabbit Cat です)


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